「雨の降る物語」を脱稿!!!
2009.06.08 Monday 18:46
 もう8年くらい前から、書き続けてきた原稿の最終章を、今日書き終えた。すごい達成感。小説の中で雨がどう使われているのか。心理学の定説から読み解くのではなく、あくまでも白紙の心で、文学の世界を味わい、そこから教えられるものを抽出するという方法をとった。そういう意味では予期せぬ発見がたくさんあった。

 このような方針のため、一つの章を書くのに、3,4冊の候補作品を読むのであるが、有名作品であってもピンと来ないものもあったし、自分自身がそのテーマにうまく踏み込めないこともあり、時間がかかった。
 
 もともと編集者には、私が10代の頃から読み親しんでいる、某新書から出してもらうことを考えていたが、大手の出版社の新書はかなり激戦であるし、かなり時間がかかる。私自身も思うところがあって、今回は少しでも早く世に出すことを最優先にし、新書本でなく、単行本でいくことを(さっき)決めた。

 また、もう少し具体化したら、このブログでも宣伝させていただきたい。
 なお、書籍化の時期が近いこともあり、「雨の物語」のなかで、書籍にそのまま使うものは、原則「非公開」にさせていただいた。ただ、最近のもの(甘い雨のなかで)(雨あがる)(雨と傘の世界を楽しむ)については、しばらく公開のままに。

 そうそう、書名をどうするのか、また悩んでいる。現時点で編集者からの仮案は「雨に生きる心理学」。う〜ん、心理学か〜。何か良いアイデアがあればお寄せください。
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雨の物語の樹系図を作る!
2009.06.08 Monday 18:22
 

 雨の持つイメージの意味を、微妙なニュアンスで表現するために、樹系図を描いてみた。
 一番上の枝は、【雨が圧力】、下の枝は、【雨が外界遮断】【雨が癒し】。まあ、それぞれに細かい枝葉が…。この記事の細かい部分が読めない?? そう、企業秘密ですので、ちょうど良い。
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雨と傘の世界を楽しむ・その5
2009.06.08 Monday 18:15

 ■  穴が開いていてもかまわない

 この「たまちゃん」の傘はスタートから穴があいていた。その都度、周囲の協力も得て、しかし成り行きで、その穴をふさぐ工夫をしていく。

 そのように、人は傘というまず自分自身を守るものを、完全なかたちで持つことにこだわる必要はないのである。不具合が生じても悲観する必要はまったくない。その都度補強し、その都度工夫すればよいのである。そうすれば防御のレベルが高まるばかりでなく、傘自体も素敵さを帯び、潤いや楽しさをもたらしてくれるようになる。逆に最初から完全なものを求める生き方は、かえって挫折するし、傘自体をきちんと開くことを躊躇させてしまうかもしれない。何より、潤いがなくなり、窮屈な世界に身を置くことになりかねない。

 また、たまちゃんには、その都度、助けてくれる人(小動物)がタイミング良く現れることにも注目したい。これはたまちゃんが良い意味で弱音を吐いていることに関係している。だから援助者が現れることが可能となるのである。これは「五重塔」の主人公にもつながる特徴である。

 そして、たまちゃんは、助けてくれたその人を、自分の傘に入れてあげて、散歩を続ける。蜘蛛も、鳥も、当人らの希望を入れて散歩の随行者になる。援助されることと援助することが実は同時に起こることを示すエピソードであるが、私たちも、援助を受けたとき、こちらもその状況に良くあった援助を与えていく可能性に思いをはせるべきであるし、最初に援助した側であれば、相手から別のかたちで援助を受けることの可能性を謙虚に感じていたいものである。


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雨と傘の世界を楽しむ・その4
2009.06.08 Monday 18:12

 ■  自立の特徴〜人を助ける

 しかし、「甘い雨のなかで」の「ゆう」は、雨の音を聞きながら、享楽的な生き方にさらなる弾みをつけた。「ゆう」の生き方はとても自立とは言えないものだ。

 実は真の自立に必要なことは、雨の音を楽しむだけではない。もうひとつ大切なことがある。それは、他者を配慮し、援助できる姿勢である。自立は、自分勝手に動けることだけではなく、他者を感じ、配慮、援助できることも含まれるからである。

 雨の比喩でいえば、他者に対して雨傘をさしのべ、入れてあげたり、貸してあげたりといった行為が出せるのかということである。

 このことについて本との出会いを中心に自分の過去を振り返る「本を読むわたし」(華恵)に興味深い体験談が載ってる。

 彼女が6歳のとき、アメリカから母親と帰国し、慣れない日本での暮らしが始まる。母親が仕事のない休日の時、朝から一緒に図書館に行く。そこで、アメリカの図書館にはない紙芝居に興味を持つ。なかでも「てぶくろを買いに」と「きつねとぶどう」の物語に感心させられる。前者は、お母さんぎつねが、子ぎつねに、人間の町に手袋を買いに行かせる物語であり、後者は、お母さんぎつねが我が身を犠牲にして子ぎつねを守った話で、そのことに数年たって子ぎつねが気がつくという物語である。どちらも子ぎつねの自立のテーマが語られ、それを助ける愛情溢れる母親ぎつねが登場することが共通している。

 まさに著者は、当時、母親に愛情を注がれながらも、慣れない日本という異国で始まる小学校生活を前にして、一人で格闘していく自立テーマに直面していたのだった。だからこそ、こうした子ぎつんねの自立物語の紙芝居に引きつけられたのである。


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雨と傘の世界を楽しむ・その3
2009.06.08 Monday 18:09

 ■ いじめと傘

 傘が個人空間の確立であり、それがうまくいっていない場合の究極のエピソードとして、学校や職場での「いじめ・いじめられ」があげられるのではないだろうか。

 江國香織の「いじめ」問題を扱った短編小説「緑の猫」はその好例であろう。ここで登場するエミが、
中学以来の親友の「あたい」の視点から語られていく。二人は同じ高校に進学し、朝も返りも一緒、休み時間もお弁当も一緒という親しい間柄であったが、エミが心の病に罹り、次第にクラスなどで孤立し、ついには親友の「あたい」との関わりも拒絶するようになる。

 あるとき、高野さんという非行少女っぽい女生徒に、エミは傘をどうどうと盗られてしまう。あからさまな盗みであるのだが、高野さんは勝手に自分の名前をサインしておきながら、「私の傘だよ。名前が書いてあったでしょう?」としらを切り、「じゃあエミちゃんとおそろいだったんだね」と図々しく目元をほころばせるのだった。

 「あたい」は激怒するのだが、当のエミ本人はすぐにあきらめ、何かに苛立ちながら、「傘なんてたいしたことじゃないんだから」と言い捨て、雨の中、エミは一人でその場を立ち去ってしまうのであった。

 この小説の中で、必ずしも高野さんの露骨な盗みが、いじめの本丸として描かれているわけではないが、傘が個人空間の象徴と考えるなら、この傘盗みのエピソードは、ダメージとして大きいものがあると考えられる。すなわち、学校生活の中で、自分の個人的空間を主張できず、そのための手がかり(傘)さえも奪われてしまうことは残酷な出来事であることに違いないのである。


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雨と傘の世界を楽しむ・その2
2009.06.08 Monday 18:06

 ■  大人にとっての子ども時代の雨

 こうした子ども時代の庇護や自立のテーマというのは、決して子ども時代だけのものではない。大人になっても、自分の子ども時代の雨と傘の物語を懐かしく思い起こすときがあるが、それは回顧すると同時に、今現在、その人が、庇護なり自立なりのテーマに直面しているのである。

 たとえば、幼い自分が小さな傘をさしながら歩くイメージをしみじみと思い返す若者が、実は親の期待とは異なる進路を選択しようとした直後であったりする。また自立が必ずしも親からのものではなく、もっと広い意味でのもので、転居や転職であったり、大事な人物との離別であったりもする。

 いずれにしろ、人は、人生のすべての時期に庇護や自立の体験を繰り返している。そして、それを幼い頃の、より純粋な庇護、自立の体験に重ねあわせて、思い起こす。それは多くの場合、傘の物語となって現れるのである。


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雨と傘の世界を楽しむ・その1
2009.06.08 Monday 18:03

  雨と傘の世界を楽しむ

雨の物語を読み説く・第10弾として、数回にわたって、雨と傘の世界を解説していきます。

■ 子どもと傘

  雨の降る物語を読むと、そこで傘がどう使われるのかを見るのはなかなかに興味深い。特に子どもが雨を楽しみ、傘を楽しむ姿は印象的である。ここでは、傘の世界を、人の成長段階の順をおって読み解いていきたい。

 まず、人にとって、最初に雨と傘に出会うのは、母親と一体の世界においてである。そこでは、母親が傘を差し、そのなかに一緒に入っている自分であるのだ。雨降りを心配するのは親のほうで、幼い子どもは、むしろ母親の世界を楽しみのみである。

 サトウハチロウに「雨とおかあさん」という詩がある。

ほそい ほそい
やさしい雨には
かあさんのまつ毛がある
わたしをさとすときに
ぬれてるまつ毛がある

ほそい ほそい
やさしい雨には
かあさんのささやきがある
大きくおなりと
くりかえすささやきがある

 ここには、幼い子どもが母親に庇護され、母親の愛情のただ中で、雨の降る外界を受け止めている姿が歌われている。

 また、第1章でも取り上げたが、北原白秋の童謡「あめふり」の世界のように、学校など母親から離れている場面で、雨に降られても、母親が傘を届けにきてくれるから、かえってうれしいと感じるのである。


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「雨あがる」(山本周五郎)を読む・その4
2009.06.05 Friday 06:44
■ 本当のハッピーエンド

  ここで現象面だけを見ると、伊兵衛夫婦は、武士や出世のテーマを捨てて、人々と平和に暮らすテーマを選び取ったということになる。しかし、心の世界で本当に起きていたことは、選び取ったのでなく、対照的な二つのテーマを統合していったということなのである。

 だから、極論を言えば、仕官が実現してもしなくてもハッピーエンドなのである。事実、同名映画作品では、最後は仕官がかなう筋書きに変更されているのであるが、どちらに結末を向けても、この作品の味わいは変わらない。伊兵衛夫婦にとって、どちらに転んでもかまわないのである。

 このように、人生の宿題を提出すると、まずそれまで苦手だった人が苦手でなくなるということが起きる。従来のライフスタイルを揺さぶってくる人がその役割を終えたかの用である。

 伊兵衛夫妻も、宿を出るとき、例のわめき散らしたおろくから、精一杯の感謝の言葉と餞別をもらう。その姿は、問題提起者ではなく、祝福者としての姿になっていた。

 また、人生の宿題を提出すると、人生の風景が違って見えてくる。それまで雨にふりこめられていたからこそ、雨があがった風景は新鮮に見える。ひとつのテーマの遂行にあれこれ苦心していた人生の風景に比べれば、視界が開け、選択肢が増え、新しい眺望の中に、新しい生活と新しい希望を感じることができるのであった。

 小説の終わりは、伊兵衛たちが宿を出て、峠の上へ出る。すると、幕でも切って落としたように、眼の下にとつぜん隣国の山野がうちひらけ、爽やかな風が吹きあげて来る。すると、彼はぱっと顔を輝かして、「やあやあ」と叫びだすのである。

 私たちも、雨があがり、いくつかの自分のテーマを統合して、新しい人生の風景を眺め、伊兵衛のように「やあやあ」と叫びたいものである。
 
 
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「雨あがる」(山本周五郎)を読む・その3
2009.06.05 Friday 06:43

■ 人生のテーマ

  ここで大切なのは、伊兵衛が、人々との素朴で平和な関係を大切にする生き方と、武士として精進し、出世していく生き方の、正反対の2つのテーマの双方が自分にあることを自覚したということだ。それまでは、前者の、人々との平和な関係を重視する生き方ばかりを意識していた。だからこそ賭け試合などもできてしまったのである。そこでは、武士として出世していく生き方については固く封印していた。話題に出すこと自体もはばかれていたのだった。

 伊兵衛は、二四歳で親の家督を相続し、出世を目指すべきポジションにいたのであるが、彼の性質から(彼の自覚していた平和のテーマから)馴染めず、すぐに「居辛い」ような「気まずい」ような気持ちになってしまい、いとまを願って退身した。その結果、今の放浪の旅の身の上になったのである。もちろん、これまでも彼ほどの武芸のたしなみがあれば、他の土地でも仕官の話が持ち上がったことはあった。しかし、彼は反省しながらも、平和な関係を結ぶテーマを捨てきれず、仕官の話がまとまらなかったのである。

 今、伊兵衛は、平和の生き方を優先する生き方を保ちながらも、自分の中に出世を目指す生き方がわき上がっていることを深く自覚したのだった。また加えていうなら、妻のおたよも、夫が武士道を極める生き方をしていくことを望みながらきたのであるが、同時に庶民を助け、喜ばす生き方の良さについても自覚しつつあったのであった。二人ともそれぞれ身につけてきたテーマは対照的であったが、ここにきて統合に向けて動き出していたのであった。



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「雨あがる」(山本周五郎)を読む・その2
2009.06.05 Friday 06:42

■ とりあえずの解決

  さて、「雨あがる」の伊兵衛に話を戻そう。

  彼は、安宿でのもめ事に割って入り、仲裁し、自分がなんとかするからと言って宿を出た。そして、4時間後、米屋、八百屋、魚屋、酒屋、菓子屋などを従えて帰ってきたのである。実は、武士としてはしてはならない、そして妻にはやらないと誓った賭け試合をして、宿で酒宴を開く金を稼いだのだった。

 伊兵衛が宿の人々に「なが雨の景気直しにみんなでひと口やりましょう」と言うと、宿は急に活気で揺れあがった。なにかがわっと溢れだしたようであった。彼は大きな声でこうも言った。「さあ賑やかにやりましょう。天がびっくりしてこの雨をしまいこむように、さあひとつ、みんなで……」と盛り上げた。

 伊兵衛にとって、場を盛り上げ、そこにいた滞在客を和ませ、おりんを含めて平和な暖かい雰囲気を再生することは、大きな解決であった。それはいかんともしがたい雨を、天にしまいこませ、沈んだ景気を一気に修正するものであった。そして狙い通りに滞在客の気持ちはなごみ、「まるで夢みてえだなあ」との声ももれた。

 しかし、賭け試合にしろ、宴会にしろ、間違いなく反対するであろう妻には話さずに決めたことであった。誰とも対決せずに問題の核心をするりとかわしながらハッピーエンドを狙うあたりも、伊兵衛らしい解決策であった。しかし、人生の宿題には、それまでの、その人らしい解決策は通用しない。それが通用するくらいなら、とっくに解決してきたであろうし、今あえて足止めをされ、ふりこめられる必要はなかったのである。

 だから、これまでのパターンでとりあえずの解決策を講じると、より本質的なさらなる問題を露呈してしまう。このときの伊兵衛も、武士としての自分の出世のあり方や、妻の希望に添えない現実についても、まざまざと直面させられてしまうのであった。



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藤掛 明
雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
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