三位一体の神は
2014.04.17 Thursday 20:22
102の妄言(93)

▼三位一体の神は、いわば三位の相互作用性の中で存在している。神の姿(性質)につくられた人間もまた相互作用性の中で存在している。


 
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毎回違う感動
2014.04.17 Thursday 19:28
102の妄言(92)

▼演劇は同じ演目、キャストであっても、行う度に毎回違う感動がある。
それは、行為する当人と、それを見る相手や、そこに立ち会う相手との間に相互作用が働き、違う世界が成立しているからだ。
こうした世界は、「客観主義」だけを信奉しているとわからない。
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一人の自分が
2014.04.17 Thursday 08:42
102の妄言(91)

▼一人の自分が、家庭人としての自分、職業人としての自分、市民としての自分など、一つひとつ異なった自分を同時にあわせもっている。一人の自分という普遍的で等質的な自分を理解しただけでは足りない。
 
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同語反復
2014.04.16 Wednesday 08:16
102の妄言(90)

▼大きな問題を起こした人は、周囲から「心の闇」を持った人として糾弾される傾向にある。それでは、なぜその人が「心の闇」を持っていると判断するのかと糾弾者に問うと、その人がこのような問題行動を起こした本人だからだ、という内容の回答が返ってくる。

 同語反復である。

 殺人を犯した人がいたとする。その原因は、殺人を犯すほどの攻撃性を有していたからであると説明しがちである。それでは、なぜ、その人がそうした攻撃性を有しているとわかったのか。それは殺人を犯したからだ。

これも同語反復である。

こうなると、殺人を起こした人は、一生殺人者として生まれついた性質を有していることになってしまう。

 同語反復的な理解は、非常に危険な考え方である
 
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事例コメントするとき
2014.04.16 Wednesday 08:13
 102の妄言(89)

▼事例コメントをするとき

客観的側面(セオリー)からは、病気の可能性の有無やら、理解や対応に関する原則を述べたり、一般的なポイントを述べる。原則論なので、案外広がらない。

了解的側面(個々人の主観的な物語)からは、その人の人生のテーマや、問題の主観的意味から、今起きていることの必然性のようなものを述べる。今後の対応についてかなりいろいろな可能性が広がる。同時に、決め手というほどのものは出にくい。

‥と、二つの側面のバランスに苦慮する。通常、カウンセリングの訓練を受けていない集団への事例コメントでは、|羶瓦砲呂犬瓩董⊆‖茲豊△陵彖任鯀やしていく。
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馴染むまでにはすこし時間がかかる
2014.04.15 Tuesday 22:21
102の妄言(88)

▼30歳代半ば、私が家族療法の実地訓練を受け始めたとき、指導者から、面接は1ヶ月くらいは、間隔を空けるようにと教えられた。なぜなら、「家族療法」の方法というのは、通常のカウンセリングと異なり、現在の家族メンバーの関係性に小さな変化を起こしていくものだから、その変化を見届けるためには、一ヶ月くらいは必要ということなのだ。

新しいことは、すこしなじんでから評価する。
なじむまでは、多少のことも大目に見る。
溶け合い、身になるためには時間がかかる。


 
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根拠のない猫の話
2014.04.15 Tuesday 15:02
102の妄言(87)

▼人生の難局も、猫の扱いも、力を抜いて、接近戦で関わったほうがうまくいく。
 
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絵本の魅力
2014.04.15 Tuesday 14:59
102の妄言(86)

▼絵本の魅力には、異なる二つの世界がある。それは、子どもが(読み聞かせられることも含め)読むことを想定しているか、大人が(自分のために)読むことを想定しているのかの、二つの世界である。
 
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道の光
2014.04.15 Tuesday 14:50
102の妄言(85)

▼旧約聖書 詩編119:105
もし足下を照らす灯りがあるとしたら、私たちの人生の歩き方が変わってくる。
(1)一歩ずつあるけばよいと思うようになれる。一歩ずつ進むことで必要なことが刻々と見えてくる。サーチライトのような光は必ずしも必要ではない。
(2)状況は暗いままでいいのだと思うようになれる。暗い道を一瞬で明るくできない。暗い状況が変わらなくても、大きな挫折のわきにある小さな希望が見えてくる。大きな悲しみのわきにある小さな喜びが見えてくる。
 
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手段の目的化
2014.04.15 Tuesday 14:46
102の妄言(84)

▼よほどの人でないかぎり、日々の生活の中で、自分の人生の目的を意識することは難しい。
  こうした状況に耐えかねて、いわば手段を目的にすり替えてしまうことが起きる。たとえば買い物も本来手段として機能するものだが、それをすり替えて、買い物行為自体を目的とするようになると、幻想的ながら生きる達成感を強烈に、そしてお手軽に味わえるのである。このように手段が目的に転じたとき、病理が始まる。
私たちは、困難な状況に遭遇したときには、こうしたお手軽な達成感や充実感の誘惑には気を付けなければならない。
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