【短期連載17・最終回】6.休む時間(2)
2016.07.23 Saturday 07:11

6.休む時間(2)

 


■ 休むことと統合
休む決断は、すべての人に必要ですが、とりわけ本格的な休暇をとることに懐疑的な人にはいっそう必要なことになります。それでは反対に、ただ中で安らぐことに懐疑的で、明確な休暇をあてにしすぎる場合はどうでしょうか。
ここで、仕事や社会向けの自分がON。そうではない余暇の自分がOFF。このようなONとOFF のバランスについても考えておきたいと思います。というのも、気を付けないと、気晴らしのOFFが、ストレスフルなONを支えていくための手立てになり、結局は、ON中心の生活を強化していることがあるからです。皮肉なことですが、OFFが拡大していく裏側で、ONが肥大化し、重量化していることがあるのです。
  本当は、ONの中に、OFF的要素を見いだし、ONとOFFの統合に向かっていくことが理想なのだと思います。自分の心の中にあるOFFへの憧憬を、無視するのか、痛み止めに使うのか、崇拝するのか、統合するのか。人は、多少とも、歳をとってくると、こうしたONとOFFをどうするのかという分岐点に立つのです。

 

 

■ 最後に
いかに休むか。いかに時間に追われずに生きるか。一番参考になるのは、忙しさの中でうまく休み、創造的に時間を使っている人の姿です。そう言う人の休み方をまねることは、創造的です。重要な体験知をいっきに継承できる大変お得な方法と言えるでしょう。
究極の休み方、遊び方、活動の仕方のお手本は、イエス・キリストです。30歳からの公生涯の中にもいろいろなお手本が登場します。また、それ以前のイエスの暮らしぶりも明記されていませんがたとえ話などから少し推測できます。イエスの気晴らし行動はあったのでしょうか。イエスの安らぐ方法はどのようなものだったのでしょうか。この作業は読者におゆだねして、本章は閉じたいと思います。

 

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【短期連載16】6.休む時間(1)
2016.07.23 Saturday 07:07

6.休む時間(1)

 

 

■ ふたつの休み方
牧師先生お二人とお茶話をする機会がありました。牧師研修会の講師を引き受けた際の事前の打ち合わせだったと思います。話題はいつしか牧師の休息になっていました。中堅の牧師が、長期休暇の必要を述べました。大学の教員のように制度として、何年かに一度、数ヶ月、できれば1年くらい仕事から離れ、休暇を取れることが理想だと言うのでした。それを聞いたベテラン牧師は、それをやんわりと否定し、忙しさのただ中にあっても、そうした日常の中で安らぐことが重要ではないかと言いました。「忙しさのただ中で安らぐ」「本格的に長期間休む」。この二種類の休み方は、人がいかに休むべきかを考える最大の論点だと思います。
私はお二人に言いました。「忙しさのただ中で安らぐ」「本格的に長期間休む」。この二つのどちらが正しいかと考え始めたら、出口がなくなる。どちらも同時に必要なものだと考えたい、と。
牧師に限らず、時間に追われる私たちが、考えるべきなのは、いかに休むかということです。これこそ時間の究極の使い方かもしれません。そして「ただ中で安らぐ」「本格的に休む」の双方を大事にし、バランスをとることです。どちらかばかりに思いを寄せると非常にバランスの悪いことになります。

■ 休む決断
ベテラン牧師はさらに続けて、こう言いました。実際に長期休暇の制度があっても、それを使うとなると、なかなか決断ができないだろうと。これは本音でしょうし、休むことを真剣に考えているすべての人の困惑であるとともに、休むこと自体を諦めてしまった人の隠れた本心でもあります。
休むには大きな決断が必要なのです。
「これをやらなければ何か恐ろしいことが起こるだろうか」
「これを手に入れなければ何か大変な事態になるだろうか」
「やりかけだと思える仕事を、今はここまでと区切ることはできないだろうか」
こうした自問を行い、何もしない時間、休む時間を積極的に確保する決断をする必要があります。組織であれば制度を、個人であれば工夫やルールを休むために導入することは大事なことですが、まずこの自問と決断が必要なのです。

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【短期連載15】5.時間と人間関係(3)
2016.07.22 Friday 09:49

5.時間と人間関係(3)

 

 

■ 支配と共感性
常に 一番をめざし、過度に人の上に立とうとする人も、要注意です。強引にその場を支配し、権力をかざしてくることもあります。遠くから見ていたその人は、実に魅力的で、成熟した大物に感じられていましたが、一緒に働き、身近で関わると、別人のようで、驚いてしまうこともあります。そこでは、上から目線でいちいち批判し、一方的に進めようとするので、気遣いといったものを感じることが出来ません。
本人の暴挙や支配は実は悪意のなせるワザというより、共感性の乏しさによるところが大きいように思います。プライドが高いので、本人の実績と努力は認め、評価し、そのうえで忠告や進言をすることが必要ですし、こちらの困惑を言葉で相手に伝えることも大切です。しかし、プライベートな関係の人であるなら、その強引さが許容できないと感じたなら、交流を控えることもお勧めです。このタイプの人は去る者は追わない傾向にあります。

 

 

■ 大騒ぎと一貫性
  大騒ぎする人。演技的な人。その場しのぎの良いことを言う人。こうした人たちとつきあうのも大変です。一貫性がなく、いろいろな言葉も、よくよく考えると「嘘」である場合が多いのです。いろいろなアイデアに最初は熱中しますが、飽きやすく、すぐに撤退していきます。
他者を混乱させますが、自分自身も混乱しています。相手のペースに乗りすぎないよう、「演技的」であることを差し引きながら交流していくことです。また好奇心や自由な遊び心をこちらが学ぶべきものもあります。

 

繰り返しになりますが、人間関係の問題を瞬間的に解決することはできません。それが深刻な問題であればあるほど解決の手がかりさえ見えないことがあります。しかし、いま何が起きているのかを考え、わかるだけでも、ストレスは違います。

 

■最後に

 人間関係のあり方には、「具体的に手助けすること」と「心に寄り添うこと」の二つの要素があります。

 実際に時間の使い方から友情を考えすぎると、前者の実際に手伝うことの計算に思いが向かいがちです。情報提供も含め、問題解決型の対応は大事なことですが、それだけでは人間関係は成り立ちません。後者の寄り添いも大切にし、自分らしいバランスを取れるようにすることが理想なのだと思います。

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【短期連載14】5.時間と人間関係(2)
2016.07.22 Friday 09:38

5.時間と人間関係(2)

                         

■ 悩ましい破壊的な人間関係
ここからは、悩ましい友人関係について考えていきたいと思います。一般的な関係というより、やや特殊で病理的な関係と言っても良いと思います。そこでは常識的な応対が通用せず、トラブルが持続します。予定や生活ペースが壊され、長い期間、ダメージを受けることになります。もちろん魔法のような解決策があるわけではありませんが、こういうことがよくある、何がおきているのかがわかるだけでも、ストレスは違います。
ここでは三つの悩ましい友人関係を取り上げます。
*要求ごとが多く、精神的にとことんすがりついてくる。
*場を支配し、自分の考えを押しつけてくる。(自己愛的)
*大騒ぎをし、嘘をついたり、その場しのぎに良いことを言う。(演技的)

 

■隣人愛とバウンダリー
要求ごとのあまりに多い人との関係は、こちらのペースで対応できず、生活が混乱することになります。そして、こちらをあてにして、こちらがその人の期待にこたえないと腹を立てるパターンが続きがちです。そういう人は、自分が見捨てられるのではないかという不安が高く、なにかあると、なり振り構わず助けを求め、実際に会うことや電話を頻繁にかけることを求めてくるのです。もっとも一般的な人間関係では、ここぞというときに一肌脱いで助けの手をさしのべることは多くの場合、有益です。ただ、その後が重要です。こちらが人肌脱いだことで、その人が危機を脱し、落ち着いていくのが一般的ですが、そうならず、かえって要求や依存がエスカレートしていくことが起きます。こうなると、止まりません。その人の唐突な怒りにもこちらは驚き、相手のペースに巻き込まれてしまいます。
このような場合、自分自身の「NOという力」が問われています。他者との心理的境界線(バウンダリー)を引き、ルールを作っていくことが解決につながります。これらの対応は、自分を守るためだけでなく、当のその人本人の病理を抑制し、成長してもらうためにも必要なものです。隣人愛というと受容的に接し、時間を差し出すイメージを持つ人もいると思いますが、境界線を引くという愛情もあるのです。

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【短期連載13】5.時間と人間関係(1)
2016.07.22 Friday 09:34

5.時間と人間関係(1)
                                                                   
かつて別の記事で、配偶者の死別など「人生の出来事」がストレスに及ぼすことについて述べました。しかし特別な出来事がなくても「日常」に常態的にストレスを及ぼすことがあります。その正体は人間関係です。

 

 

■ メリハリ
私の書く文章には、「語り合う」という言葉がよく出てきます。それがストレス対策や様々な洞察に役立つことは再三指摘しました。それでは「語り合う」ためには時間は関係ないのでしょうか。もちろん時間は必要です。ただ、無制限に時間を使えば良いかというとそうではありません。
友人関係を考えると、不思議なもので、人は、他の人と頻繁に会うことによって、親しくなるのですが、一方で、それほど頻繁に会わないのに、親しくなることもあります。
どちらもともに大切なことですが、極端になると勝手が違ってきます。なにかにつけて、絶えず会ってばかりいると、相手についつい情緒的に巻き込まれてしまい、見えるものも見えなくなります。そして、一人で黙考する時間も失われがちになります。逆に、「会う」「会わない」のメリハリがあると、会ったときの集中力が違ってきます。また会うまでの間に、あれこれ考えることも、意味のあることです。
これはこのまま友人の側にもあてはまります。いつも一緒にいてあげる友情もあるし、いっとき間をとって見守る友情もあるのだと思います。

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【短期連載12】4.時を待つ(4)
2016.07.20 Wednesday 22:48

4.時を待つ(4)

 

■3.再スタート
私たちは人生の勝負所で、足止めを食らったり、休養に追い込まれたりすることがままあります。一定の期間の後、復帰し、再スタートするとき、人は極端な大活躍を目指しやすいのです。たとえば、うつの患者さんが、職場を休職し、その後復帰する際など、「周囲が驚くほど活躍して、休んでいた分を一気に取り返したい」などと言います。
しかし、本当は、復帰当初、「必ずしも活躍できない自分」「思うようにいかない弱い自分」を差し出し、さらすような覚悟がないとうまくいきません。そこがないと、かえって失敗しやすいし、結果的にそのような開き直りがないと、空回りが続いてしまうことでしょう。
こうしてみると、人生の目標の再調整。スランプ対策。再スタート。どれも、自分が時間の支配者であったことを放棄し、謙虚に受動的に関わることが共通しています。そしてそれを支えているのは、自分の限界や弱さを認め、良い意味で開き直る姿です。
 

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【短期連載11】4.時を待つ(3)
2016.07.20 Wednesday 22:47

4.時を待つ(3)

 

■2.スランプ対策
スランプは、誰にもやってきます。スランプが深刻で長期化する場合には、注意が必要です。自分の実力を高く評価しすぎてしまうと、常に本来の実力を発揮できない不全感を引きずることになります。
人は波線を描くように、普通に頑張る、すごく頑張れる、普通に頑張る、まったく頑張れない、普通に頑張る、といった具合に活動の曲線を変化させていきます。自分の限界や弱さを認められないと、時おり訪れる「すごく頑張れる」自分を、イコールふだんの自分であると考えてしまいます。すると、ほかの自分(ほとんどの自分)は、それよりも低い活動しかできないため、本来の自分でないと感じてしまうのです。本当は、いろいろなときがあって、その平均的なところが自分の実力となるでしょうし、頑張れても頑張れなくても自分の幅の一部として受け止めることが良いと思うのですが、なかなかそうなりません。
  さて、スランプから脱出するためにはどうすれば良いでしょうか。多くの人は逆転満塁ホームランを狙い、一気に状況を変えようとして失敗します。スランプから脱出するためには、少しだけやり方を変えるのが得策です。またスランプ状態にあると感じたときは、いつも頑張れるとは限らない自分を認め、「頑張るモード」から「頑張れないモード」に切り替えて仕事にあたるべきでしょう。
「できることの少ない日は、少なくなにかをする。」(糸井重里の言葉)という感覚は大事で、弱さを受容した人の姿だと思います。

 

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【短期連載10】4.時を待つ(2)
2016.07.20 Wednesday 22:47

4.時を待つ(2)

 


ここでは、時間に対する受動的な関わりから、人生の大きな節目となるトピックスを考えてみたいと思います。

 

■1.新たな目標との出会い
神の時を待つことは、自分の目標自体も神により変更され得ることを意味します。あるとき人はそれまでの大切にしていた目標を捨て、新たな目標に移行し、大きな飛躍を経験します。
どのような人であっても、ねらいすましたように成功し、計算通りにスペシャルな業績を残すということはありません。ただ、大きな業績を残す人は、現在の目標に(冷静に考えるとそれほどすごいわけではない目標に)向かっていくその過程で、現在の目標とは異質の、新たな目標に出会っています。それも本人からすると偶然に、後から振り返ると神の計画として必然に出会っているのです。
  「予想以上」、「予想外」、「裏切った展開」。こうした人生の諸処で感じる感触は大切です。繰り返しになりますが、最初の目標や思惑に向かうプロセスの中で、期せずして別の金脈を発見することが大切なのです。最初の目標の、その先に、それも少し斜め先に、大切なものが待っているのだと思います。それは人にはすぐにわかりませんが、時間がたつ中で新たな目標と出会ったことが理解されてくるのです。

 

 

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【短期連載9】4.時を待つ(1)
2016.07.20 Wednesday 22:46

4.時を待つ(1)

 

■ 二種類の時間

 

人は、時間に対して二つの関わり方があります。それは能動的な関わりと受動的な関わりです。能動的というのは、人が時間の管理者として、時間を最大限に活用し、組織的・合理的に使うものです。巷に溢れる時間管理の指南書は、これに属し、職業人としてもっと時間をうまく使い、活躍せよと迫ってきます。本連載でこれまで扱ってきた事柄も、時間との能動的な関わりを扱ったものと言えるでしょう。
しかし、いくら頑張っても人は時間を支配しきれません。どのような計画であっても人の思惑通りに進むとは限らないのです。たとえ神を認めない人であっても、運命や諦念などという言葉を使い、時間と人生が人に支配されない部分のあることを知っています。
興味深いのは、人生を決める出会いや選択は、合理的な計算とは無縁の、予期せぬ展開の中で起きるということです。そのような展開点は神の定められた特別なものとして存在します。そのような時は神が定めているのであって、そう言う意味では努力しながらも、その時の到来を待たねばなりません。それは受動的な関わりです。それもきわめて成熟した受動性です。
このような受動的な時間を表現する有名な聖書の言葉があります。


「何事にも時があります。
生まれる時 死ぬ時 植える時 収穫の時
殺す時 病気が治る時 こわす時 やり直す時
泣く時 笑う時 悲しむ時 踊る時
石をばらまく時 石をかき集める時 抱きしめる時 抱きしめてはいけない時
何かを見つける時 物を失う時 たいせつにしまっておく時 遠くに投げ捨てる時
引き裂く時 修理する時 黙っている時 口を開く時
愛する時 憎む時 戦う時 和解する時」
(伝道者の書3:1−8  リビングバイブル )

 

人は能動性を発揮し、自分の人生を充実させるよう努力すべきです。しかし同時に、時間は究極的には人の管理下になく、神に与えられるものだということです。これは、自分が万能でなく、限界と弱さを抱えた存在であると受け入れることに関係していきます。

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【短期連載8】3.関係の中で生きる(3)
2016.07.20 Wednesday 22:18

3.関係の中で生きる(3)

 

 

■  断ることの罪責観
手帳えんぴつ法も、部分引き受け法も、自分にあわないと感じたら、それを実践する必要はありません。先輩や仲間などとの交流の中で、さらなるワザを教えてもらえば良いのです。こうしたワザは無限にありますので、相性の良い物をゆっくり探せば良いのです。
ただし、断ることや休息することに強い罪責観を抱くようであれば、立ち止まって考えるべきことがあります。それは、正常な活動を続けるためにも、休息は欠くべからずものであるということです。自分のための休息でもあり、正常な活動を維持するための休息でもあり、組織やネットワークのための休息でもあるのです。
そのような休息ですからどうどうと取って良いわけですが、周囲がそれを十分に認めてくれない場合があります。そうした関係性に配慮できるという点でもユニークだと思います。
どうか自分の身に付けたワザを仲間や後輩に語ってください。そして仲間や後輩のワザも傾聴し、取り入れてください。

 

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藤掛 明
雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
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