講演録「牧師のストレスとセクハラ問題」(9・最終回)
2008.04.23 Wednesday 00:13

■脱線後の姿
さて、脱線した後はどうでしょう。ばら色問題でもいいましたように、背伸び・強行突破の息切れで脱線した人は、それで立ち止まれません。特に性的な逸脱の場合は、なかなか立ち止まれません。
いす
私は、ある教会に行ったときに、コラージュ療法のワークショップをしてくれ、と言われたので、牧師先生も交えて参加者のみなさんにコラージュ作品を作ってもらいました。コラージュというのは雑誌の切抜きを台紙に自由に貼ってもらって、そのイメージを味わうというおもしろい方法です。たまたまそこの牧師先生が作った作品は、風邪を引いている寝ている女の子のイラストを貼ったんですね。自分は今、風邪を引いています、そういう自己紹介だったんですが、私はこうコメントしました。「風邪を引いて動けないような、無力な弱い女性やそういった人たちに頼りにして欲しい人なんじゃないですか」って。実は、その先生、後でわかったのですが、ひとりの若い女性の求道者に対して大変不適切な行為をしていたということで、この数ヶ月後、それが発覚し、職を解かれてしまいました。男性性の問題が出ていますね。どれくらい自分が安心して関われるか。無力な弱い異性を支配できるか、というテーマが出ていたわけですね。
今日は牧師のセクハラ問題ということで講演をしているわけですが、私は、セクハラに限らず、背伸び・強行突破で暴走したときに様々な不祥事が起きる、ということをまず最初にお伝えしました。そしてその中の典型例としてセクハラ問題があるということです。
そして、こういった脱線をすると、多くの場合、本人は逆転満塁ホームランをねらいます。失地回復のための背伸び・強行突破を一気に強めるのです。ですから、たとえば、そういった何らかの問題行動が起きた。それでは処分として、何年間停職にする。あるいは免職にする。もしそれだけなら、これは、考えようによっては危ないことです。当人は、今度こそ根性入れて強行突破しよう、あるいは、なおいっそう活躍できる自分の姿を見せつけようと、ばら色の未来を描いて突っ走ります。そしていっそう崩れていきかねません。
少なくとも時間が解決する。自ら内省と軌道修正をする。そういうことはまったく期待できません。だったら、せっかくあなたはアウトだ、ダメだと言われたんですから、アウトを受け入れて、むしろへたり込みなさい、というふうに言ってあげることの方がいいのです。当事者を監督する立場の人や組織が、対決をしなくてはならないし、それはけっして冷たいことではないんですね。背伸び・強行突破型の人には、このことはアウトだ、ダメだと言ってあげることが、大変治療的、教育的になるのだと思います。
そして、当事者が自らの非を認めることができたなら、通常の処分に加え、自らの息切れを自覚、受容できるような治療、教育的措置をも与えていくことが重要なのだと思います。

■自己受容
ストレス対策ということで、申し上げますが、一番の本質的解決は、自分の弱さを自覚し、認め、それを受け入れるということにつきるんですね。背伸び息切れ状態である自分を、いつも観察して、それをチェックしていけるかどうかということが根本的な対策になるわけです。そして、このようなことができれば、セクハラも含め、様々な脱線は防ぐことができると思います。こうした弱さの自覚というのは、本来クリスチャンは(浅い深いは別にして)得意な分野であるはずです。
しかし、これは考えれば考えるほど難しいことです。まず、背伸び強行突破の生き方が強い方は、自分では自分の息切れ状態についてはわからない。普段そうではなくても、状況が悪化して、頑張って乗り越えなくちゃいけない状態になると、ここで立ち止まろうとか、ここで息切れかな、というふうに思ったらば頑張れないわけですから、自分にはどんどん鈍感になっていきます。自分の息切れ状態を自覚することはあまりに難しいことではないかと思います。
SOSサインの点検
カウンセラーとして頑張ってきている人たちに一番有効な方法だと思うのは、本質的なことではないけれども、第一にSOSサインの点検、ということがあります。これは、理屈抜きで自分が息切れしたときにおきやすいSOSメッセージというのがあるんですね。それを点検するということです。、たとえば、私は、血豆がよく出来ます。年に2回くらいは出来るんですね。だんだん余裕がなくなってくると、ドアの開け閉めが乱暴になってくるので、挟むんです。血豆が出来ると、私は、ちょっとまずいかな、と思って緊急停車をします。あとは、ダブルブッキングとか、待ち合わせを完全に忘れてしまうということも恥ずかしながら、年に1、2回あるんですね。何で忘れるのかということなんですけれども、忙しさが一定以上になってくると、その日の朝、手帳を見ないんですね。頭の中に入っている手帳というのがありますよね。だから、朝起きたときに、手帳を見るという余裕がないんです。そうすると、たまたまとんでもなく遠くから来ている方と会うはずだったの、その日の2番目の予定をすっぽかしてしまったりする。そうしたすっぽかしがあると、血豆以上に緊急停車せよという警告サインになっていると思います。これは、困っているときでは遅いんですね。普段からチェックしておく。あるいは、身近な親しい方とお互いに、「あなたが息切れするときは、結構早口になるのよ」とかね、そういうのをあらかじめリストアップしておくことが、すごく大事ですし、多分、一人の人が10とか15はそうしたサインがあると思います。そして、こうなったら、こうしようとある程度決めておくとよいと思います。
面接室でお会いした、ある社会人クリスチャンは、息切れ状態の果てにどうしようもなく、危ないときというのは、腰痛が始まると言っていましたね。そのサインの手前は何ですか、と聞きましたら、職場に無意味に早く出勤するようになると言っていましたね。10くらい出してもらいましたが、冷静なときにはそういうふうにチェックが出来るのです。そして理屈抜きでブレーキをかければよいのです。本当は、家族などでチェックしあうと、更に出てくると思いますけれども、とにかく、そういうサインを自覚するというのは、すごく役立ちます。
気晴らし
それから、気晴らし。それも質より量、選択肢の多さが大切です。また似たことばかりでなく、様々なタイプの、たくさんの気晴らし方法を持てれば理想です。
友情、スーパーバイザー
三つ目は、友情、あるいは、友情ではなくても、スーパーバイザーのような身近な指導者の存在でも同様です。仕事が忙しいと難しいかもしれませんが、かなり私はキーワードになるんじゃないかと思います。私的な友情は理想的です。同業の牧師同士が、優劣や成果にとらわれず、心と魂の交流を深めていくとき、多くのストレスを和らげ、また自らの問題を洞察する勇気が与えられます。
また、スーパーバイザー制度のようなシステムを作っていくことも大切だと思います。もっとも教団内の制度として作っても意外と機能しなくなる場合もあると思います。それとは別に自腹を切ってでも、個人で探すスーパーバイザーがより重要で、個人で探すのが難しければグループで指導を受ける方法もあると思います。牧師としての専門性を磨くために、そしてメンタルなケア、霊的なケアを受けるために、熟達した先輩牧師の指導を受けることをもっと積極的に考えてみるべきではないでしょうか。
事例の蓄積
そして、四番目が、失敗事例の蓄積です。色々な牧師先生の脱線があって、たとえば、法的な制裁を受けるぐらいのことがあったときには、失敗事例としての蓄積をし、第三者による検討・分析を行うのが理想ではないかと思います。
グループ
最後に、グループということです。背伸び・強行突破型のタイプの人たちに対しては、カウンセリングはほとんど効果がないですね。長期戦です。でも、悔しいことにグループだと、すごく効果がある場合がけっこうあります。アルコール依存の人たちもカウンセリングを受けるより、自助グループに参加します。それくらいに大きな力があります。そして更に悔しいことに、自助グループは基本的に専門性があまりいらないんですね。ですから、私はカウンセラー1人を育てるんだったら、100人の自助グループ指導者を育てたほうが、大きな影響力があるように思います。
また、実際に集まることが難しいときには、コンピュータのホームページの掲示板やブログを共有して、同じ問題意識のある同じ問題をかかえている人たち同士が、インターネット上で交流することも良い方法だと思います。実際に会うことに比べると効果は薄いかもしれませんが、色々な良い相互の影響力をあげることができると思っています。

■最後に
最後に、トピックスで言いますと、昔はなかったけれど今はある、というような大変な現象が起きています。その端的なもので言えば、人格障害と呼ばれるような人たちですね。特に境界線人格障害、自己愛性人格障害と呼ばれるような人たちが、非常にトラブルを起こしやすくて、現実問題として、指導者、牧師を疲弊させています。かなり常識とは違う動き方をするので、そういったものに対する対応教育というものを牧師に向けて行なうことが急務になっています。このことだけでひとつの研修会を行う価値があると思いますね。
ということで、私の発題はここまでとさせていだきます。

最後までお読み頂き感謝です。ブックレットのほうではこの後、会場からの質疑応答が続きます。
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2020.02.17 Monday 00:13
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Comment
2014/06/06 4:34 PM posted by: でんこ
牧師のストレスとセクハラ問題を一通り読ませていただきました。
私は「タフな自分が好き」というところがありました。でも、この頃心のどこかで「疲れるなあ」と思うようになりました。
だから、心の声に従って、私も一旦へたり込むことにしました。
椅子に深く腰掛けて「あー、疲れた〜」と思わず言ってしまいました。
2009/08/23 6:09 PM posted by: 野の花
見てしまったのではないのですが、相談の電話をもらい、対応しているうちに、一人では抱えきれなくなり、そうかと言って、聞いた話と言うのは信用されないこともありますので、二人の長老(一人は私の実兄)とご本人に我が家に来てもらい、ご本人の口からと、私の捕捉で、被害者の女性はありのままのことを言い表すことができました。
最終的に、一緒に牧師に会いに行こうと誘いましたら、「もういいです。聞いていただいてよかったです」とおっしゃり、すでに付属幼稚園も辞めて、ほかの幼稚園に就職しており、夫婦仲も壊れてしまって、子供のために外観的に平和にしている状態で、教会にも来なくなっておりましたので、ご本人の気持ちを大切にして、今後も主にあるお交わりを続けようとお約束して、終止符を打ちました。

しかし他の問題をこの牧師園長が起こした時、私は「M姉のこと、ずっと相談にのってきました。関係してくださっている長老もいます。Mさんは、『こういう問題は女性が悪いといわれるのです』とあきらめています。
先生も60歳ですね。そろそろいろいろな問題にけじめをつける時ではありませんか?」と申しましたが、この牧師は、私に甘え口調で言い訳をした後は、自分の逸脱行為すべてが表ざたにならないことにホッとしているようで平然としています。

ふじかけ先生の心理分析に心底共感しています。
私も、間違った牧師のもとを離れて、信仰生活を続けることにいたしました。
しかし、他の問題で相変わらず被害を受けている付属幼稚園の保育者たちの相談相手は続けております。

ですからふじかけ先生のこのブログは心の平安を回復するための確かな道しるべです。
ありがとうございます。
2009/05/24 8:29 PM posted by: ふじかけ
のぞみさん

ご提起された問題については、対応の選択肢が多岐にわたり、ご自身の意図や関与への覚悟、立場などにより、多様な方法があるように思います。言葉を変えれば正解がひとつと決めつけられない難しさがあると思います。
なかなか一般的なことも申し上げられませんが…。私が面接室で、牧師について教会員としてそのようなことを憂慮している、とご相談をいただいた場合には、次のような事柄をそれぞれ考えていくと思います。

(1)まず事実関係がどの程度、社会的に断定できるのか、ある程度想像や状況的なものが含まれているか。
(2)その問題にどの程度自分自身が犠牲を払い、深く関わっていく覚悟があるのか。
(3)神様がどのような関与を臨んでいるのか。いくつかの選択肢をあげる。
(4)選択肢の中には、聖書の原則に従い、個人的に、事情をうかがい、不安や危ぐを伝える、ことが含まれる。
(5)この時期、そのような問題に遭遇させられたことは、相談者自身の人生にとってどのような意味があるのか。
2009/05/18 11:13 PM posted by: のぞみ
どこに、誰に相談したらよいか分からず
講演を読ませていただきながら
やはり、このような問題があるのかと
メールを打っています。
牧師が男女の関係において罪を犯しているのを見てしまった場合は
どうすればよいのでしょうか?
2008/05/13 4:24 PM posted by: ふじかけ
あささん

不適切な関係を強要。
脅迫。

かなりひどい内容だと推察します。
法律に触れるほど、逸脱の度合いが大きくなってしまったときには、小手先の工夫はあまり役立たないと思います。
私としては以下のことをお勧めしたいと思います。

,泙唆飢颪所属している教団に訴え、あるいは相談する。
△修譴うまく行かない場合には、警察に訴え、あるいは相談する。
自分が行動を起こすことに自信がなければ、友人や家族に、上記´△里い困譴を、代理で行ってもらう。
2008/05/12 3:11 PM posted by: あさ
AERAの記事よりも、残忍なプロテスタントの牧師がおります。
不適切な関係を強要し、従わなければ、強行突破。
牧師という職業には不向き、「アウト」であると言いたいけれども、
私が以前に話していた相談内容を公表するぞと脅迫し、支配下におきます。
他人の非を数えるばかりで、「自らの非」を省みない牧師に効果的な戦略というものはあるのでしょうか。
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雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
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