レジュメ:なぜ日本に牧会カウンセリングが必要なのか
2008.09.02 Tuesday 12:14
 いよいよ今日、午後5時から7時(前半60分が講演、後半60分が質疑応答)、都内駒込駅前の聖学院のビルで、講師をさせていただく。「参加無料、だれでもどうぞ」の研究会なので、何人くらいの方が来られるか少し不安である。今回は、完全原稿を読むかたちにしようと意気込んでいたが、生来の作業の遅さで、「レジュメ」にしてそれを配布することにした。以下に全文を掲載する。
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「なぜ日本に牧会カウンセリングが必要なのか」 2008.09.02 藤掛 明
ホットコーヒー

1.牧会カウンセリングとは

(1)古くて新しい

古い〜基督教の歴史の中で牧師、神父は、人々の悩みについて相談に応じ、聖書の教えに従って教え、導き、訓戒し、支えてきた(古典的牧会指導)。

新しい〜20世紀に入って、人々の生活は複雑化し、容易に解決できない問題が生じるようになり、牧師も従来の方法では十分に対応できなくなった。20世紀前半の精神分析をはじめとした諸心理療法が、人間心理の理解と援助に新しい道を開いた。
牧会的配慮も、この新しい潮流に着目し、本来の聖書的人間観に立脚しながら、その技法を援用して、「牧会カウンセリング」という新しい牧会的配慮の道を開いた。
1925年、アメリカで、ボイセンが牧師のための臨床牧会訓練を始める。
1968年、アメリカ、クラインベル。「我々はロジャーズ後の時代に立っている」
1975年、アメリカ、プルイザー。「羊飼いはすぐに獣医に任せきりにしてはならない」
1967年、ジュネーブ、WCCファミリー・カウンセリングに関する国際コンサルテーション開催

(2)二つの定義

一般的な定義〜「人生において出会うさまざまな苦痛に際して、それと取り組むために、牧師に牧会的な助けを求めている個人・夫婦・家庭に提供される牧会配慮の特別な一つのタイプ」(Dictionary of Pastoral Care and Counseling, 1990)

広義の定義〜「神学的展望を通して、経験的、行動的、個人的かつ協同的人生の探査、解明、指導」(The American Association of PastoralCounselors〔AAPC・アメリカ牧会カウンセラー協会〕)
牧会者とは異なる、実際の職能集団を前提にもした定義。主体者が牧師に限定されない。

今日のアメリカにおいて、職業として認定された3,000人以上の牧会カウンセラーがおり、教会内外において、カウンセリングを行っている。教会の外の場合、牧会カウンセリングセンターという機関でカウンセリングを行うが、多くは、地方の諸教会によって支援されている。

2.日本での「牧会カウンセリング」

(1)日本の特徴
.▲瓮螢のモデルや方法を取り入れている。
臨床牧会訓練は、一定の普及を見ている。
神学校科目に「牧会カウンセリング」も用意。

△燭世掘⊆臑亮圓鮃げ、専門性を問わずに、定義されることもままある。
*三永恭平(1986)日本基督教団
 牧会カウンセリングは、牧師だけでない。アマチュアでいい。
「この点(霊的次元をしっかりと考慮しなくては、人間の問題の本当の解決が与えられない)をはっきり認め、それを根本にすえてあらゆる人生の諸問題や苦悩に対処し、援助を与えようとするのが「牧会カウンセリング」です。」
「牧会カウンセリングにおいては、特別な専門家はないと考えています。」
(=万人祭司)

*笹岡靖(2006)キリスト伝道隊
 「聖書的な世界観を伝えることを意識した人(カウンセラー)が、そのような目的で人と関わること」
 「聖書に立ったカウンセリング」「教会が行う多くの活動が含まれることになる」

F本では牧師の牧会配慮に、別の勢力として影響を与えるだけの世俗のクリスチャン・カウンセラー集団が育っていない。
 牧会カウンセラーとクリスチャン・カウンセラーの違い。
 聖書の価値観に基づく局面の有無。カルト信者の場合。

そもそも日本には専門的な「カウンセリング」、職業としての「カウンセラー」を受け入れた歴史が浅い。
1988年、臨床心理士制度スタート。2001年、文科省スクールカウンセラー制度導入。 しかし、国家資格には至らず。2005年、議員立法で提出直前で挫折。
 既得の医師勢力との対立。交渉

(2)日本で牧会カウンセリングに関わってきた人材

)匯奸⊃棲惷軌蕁◆淵▲瓮螢留学)、一部は働きを特化
 三永恭平、有馬武夫、賀来周一、笹岡靖ら、掘肇
 斎藤友起雄、窪寺俊之、丸屋真也
 杉田峰康、近藤裕、柿谷正期、高橋良臣

∪ぢ専門家(医者)、信仰者としての問題意識、経験知。特化しない。
 赤星進、平山正実、柏木哲夫、工藤信夫、山中正雄

世俗専門家(心理)、信仰者としての問題意識、経験知。
 未確立。そもそも世俗専門家として確立されていなかった。
 佐藤誠、白井幸子

 ここでも、世俗のクリスチャン・カウンセラー集団が育っていないことが反映されている。狭義の牧会カウンセラー集団が育つ素地がなかった。

(3)世俗のクリスチャンカウンセラー集団の現在

.ウンセラーとしての中立性。業界での「宗教」「宗教性」の取り扱いの変化
▲皀妊襦∀携の不足(孤軍奮闘)。SV制度。
クリスチャン臨床心理士の急速な人口拡大。
→個々に。ルーテル学院大学。CCC。聖学院大学。

3.臨床的に見た日本の教会の独自性
(1)アイデンティティと甘え
日本人の特質を欧米人との比較において、「恥」「甘え」などの鍵句を通して、その相対的な価値基準、所属する集団への没入、個人意識の弱さなどが指摘されてきている。
「甘えの構造」で有名な精神科医師、土井健郎は、自らのカソリックの信仰者の立場も含有させながら、「アイデンティティ」の確立は、個の成長によりもたらされるものであるが、日本においては、周囲との関わりに中で自分を感じ、成長していくと欧米と対比的に記述している。また、欧米の罪悪感は、もっぱら個人の内部の問題であるが、日本では、自分の属する集団を裏切ることになるのではないかという自覚においてあらわれることが特徴であるとしている。

(2)属性:境界線(バウンダリー)
自他の責任を曖昧にし、自分と他者の間に正しい境界線を引けない傾向が出やすい。
 個人の境界線の曖昧さは、周囲に巻き込まれやすく、問題状況をいっそう悪化させてしまう。「境界線の曖昧さは、日本社会の根底にある日本人特有の傾向であり、それだけ問題の根っこは深い」(丸屋、2004)。
 境界線が注目を浴びたのは家族療法の台頭から。日本の教会の家族主義的側面に係る問題を受けとめる上で、非常に有効なカウンセリング的観点。

(3)属性:順調希求、「なせばなる」
キリスト教は、自分の無力感、罪深さの受容とそこからの贖罪信仰が基盤にある。しかし、日本人が瞬時に劇的に、個の罪深さを自覚することは難しく、キリスト教に接した際に、自分の無力感の受容を軽視し、景気の良い人生、バラ色の信仰生活をより求める傾向も生じやすい。援助者も援助を受ける側もどちらが「なせばなる模範解答」に陥っても問題解決が遠のいてしまう。鬱的気分の背景としても大きい。
例。積極思考の経済犯罪者。「キリスト教カウンセリング概論A」のレポート。

(4)属性:日本人的指導者像
 自分の所属する集団にあっては、その指導者を絶対視し、従属する一方で、その指導者に格別な指導力を期待し、依存的な関わりを強めやすい。儒教的思想、武士道的思想の影響も指摘されている(J.ダヴィダン1995、古屋2003)。
「日本人の伝統や文化、思想の中にも指導者を絶対視する傾向がある。」そして、牧師に過剰な働きとサービスを期待する信徒集団を作りやすい。「人々は牧師を絶対化するか、または自分が望むような結果を得られない時に、そのような牧師に反抗したり、傷つけたりするようになるのである」(坂野2008)

4.現代日本における牧会カウンセリング的課題

(1)日本人と人格障害の問題
人格障害とは、「性格の偏りが著しく、社会生活の広い範囲で、逸脱的な行動パターンがみられる」状態を指す。
高度に細分化され、複雑化した社会にあっては、競争原理もあいまって、成功か失敗か、正しいか誤っているかの極端な二分法が生じやすく、良い意味での曖昧さや中間性が失われるとされる。特に人間関係にあっては、極端な関わりをしようとしてトラブルメーカーになりやすい。本人ではなく、周囲が被害にあうという点にも特徴がある。
人格障害への注目、ネーミングは、1960年代後半。アメリカのDSMに境界性人格障害が記載されたのは、第三版(1980年)から。
 この病理は、古来からではなく、現代社会が生んだ病理とされている。
 欧米社会同様、日本でも問題化している病理である。
 個人としての精神障害のような自我の崩れがなく、狭義の精神病とは見られない(司法精神医学においてはいっさい刑の減軽につながらない)。しかし、関係性においては病理があらわれ、悲惨なトラブルを巻き起こす。逆に言えば、関わる指導者の対応によって、問題が悪化することも、あまり問題化しないことも起きる。上記3(2)の境界線(バウンダリー)の問題に関連した現象でもある。
この人格障害者への対応、治療にあたっては、権威、枠付け、対決といった要素が必要とされ、神の愛が義に伴われたものであることを想起させる。
 欧米に比べ、教会における人格障害者の起こすトラブルは、より悪化しやすいと考えられる。そのような病理についての理解が牧師も信徒も不足しているし、日本人的な善意で無批判に受容的な対応を続けてしまいやすく、歯止めがきかなくなる。
また、うわさや、非当事者の不適切な対応がさらに悪化に拍車をかける。対応者の一枚岩が問われる。
 教会規則、各種窓口といった「対決要素」を有した組織の形成が必要。
 人格障害や、それに準じた激しい人間関係トラブルについての、知識や研修が必要。
例。3つの神学校、教団の講演テーマ。

(2)日本人と依存の問題
依存とは、中毒、嗜癖とも言われる。本来有益なもの、潤いをもたらすものであったが、過度に囚われたとき病理となる。定義としては「自分や他者に害悪があると知りながらその行為を続ける」状態をさし、ありとあらゆるものが依存対象になり得る。
依存は、古代から存在している人類普遍の病理現象である。手段が目的化する病理ともいえる。日本人は、基本的に、目的意識、規範意識が相対的であるが故に、非常に、依存親和的である。しかし、日本の依存問題は世界的にみて軽度であると言われている。それは、習俗的、政策的なコントロールを受けやすく、結果的にアルコール依存を許容したハーム・リダクションが成功してきたと評価された。
 しかし、1989年を境に日本の飲酒量が下降に転じ、それに呼応するかのように、依存の方向が多彩になり、ギャンブル、買い物、暴力、性などの依存が大きな問題となっている。
 依存症者の臨床像は、非常に理想が高く、ある意味純粋であるが、自分の無力感の受容ができていないという特徴がある。依存は、実人生での無力感を払拭する幻想的な打開策の性質がある。3(4)の心性に深く関わる事柄である。
慢性病である。意思の問題として片づけやすいがそうではない。本人はひどく前向き。
 依存症者が自分の真の弱さを認め、生き方を変えることは難しいとされ、精神医療モデル、カウンセリングモデルでも、大きな成果をあげられていない。
 しかし、それを補って、自助グループ(セルフヘルプグループ、当事者グループ、サポートグループ)が効果をあげている。同じ問題や障害をかかえて苦しんでいる人が定期的に集まり、「話しぱなし、聞きっぱなし」の原則でわかちあいを行う方法で、助言、指導を組織的に行わないが、結果的に参加者の自己洞察が高まり、生き方が変わるとされている。
 背景にはキリスト教的人間観があり、「ニーバーの祈り」が唱えられることも多い。
信仰者、求道者に特化した「信仰の12ステップ」「リカバリーグループ」「ベテスダの集い」運動も、同じ路線にある。
指導者養成が容易であり、告白や交わりといった本来教会に具備した要素が多く、今後、日本の教会で多いに推進されるべき領域である。
「1人のクリスチャン臨床心理士を養成する時間と金で、1,000人の自助グループ指導者を。」

(3)日本の儀礼、儀式の衰退と教会
日本の依存の問題でも指摘したことと重なるが、日本人が個の確立から成長するよりも、周囲との関わり、環境の影響の中で成長する面が強い。そこで、牧師が絶対者として君臨すれば、大きな影響を効率よく与えることが出きるが、3(3)のような危険性があり、最終的には破綻しがちである。それでは、信徒の成長を考え、信徒や求道者の人生の問題解決に寄与できる教会全体としての対処法はどこに求められるのか。
それは、教会としての様々な儀式的なものを信徒や地域社会に提供していくことである。
賀来も「広い意味での宗教的儀式」が、人々の魂を取り扱い、信仰上の体験や洞察を深めさせていくことを指摘している(2007年)
 日本では各種の儀式、儀礼が形作られてきたが、現代にあってはそれらが軽視され、崩れ始めており、潜在的には現代に適合した宗教的儀礼、儀式を求めている。癒しブームも、こうしたことを背景に、個人主義的な儀式を創出しようとしている姿として理解できる。
 とくに先鞭をつけるべき急務として、日本人の「死生」の分野での儀式、儀礼について、教会がより深く理解し、必要に応じて新しいものを創出していくことが求められる。日本の仏教的グリーフケア、汎神論的グリーフケアに対抗するものを教会が用意するということである。
 これらは、死別による喪失体験を正常に対処できないと、人は様々な症状や歪みを持ち越すとされている。教会的なグリーフケアは、人々の予防的なケアの面がある。また、宗教に関心がない人に対する強力なアプローチにもなり得る。
 また、結婚、子育てなど人生の節目の課題に対する儀式、儀礼の充実、創出もあるし、正月やクリスマスなどの1年間の節目としての儀式、儀礼の充実、創出も考えられよう。

5.牧会カウンセラーとしての牧師
(1)SV(スーパーヴァイズ)制度、CC(ケースコンサルテーション)制度

(2)牧師の精神的病い、問題行動化への対応システム

(3)牧師の友情、グループ

6.まとめ・なぜ日本に牧会カウンセリングが必要なのか

(1)牧師が、信徒や求道者の相談に対応しきれず、時に疲弊し、燃えついている。アメリカで始まった牧会カウンセリングの必要な事情は、日本でも同様に起きていると考えられる。

(2)さらに日本人特有の心性を考慮した牧会を行うことを考えた場合、日本特有の難しさも存在する。それは「甘え」理論に代表されるような、所属集団への没入、個人意識の弱さといった日本人の心性であり、そうしたことは、あらゆる問題に関連してあらわれやすい。境界線の問題であれ、順調希求の問題であれ、日本人的指導者像の問題であれ、非常に複雑で専門的な配慮が求められている。

(3)また、具体的な牧会カウンセリング的な課題として、()人格障害への対応、()依存症への対応、()宗教的儀式の衰退への対応、とりわけグリーフケアの拡充、創出の必要があげられる。これらは、適切な対応をしないと、問題が解決しないばかりか、加速度的に事態が悪化していく緊急課題でもある。
以上の諸点から、日本での牧会カウンセリングの必要性は高いと考える。

(4)なお、アメリカの狭義のプロフェッショナルな牧会カウンセラー集団は、日本でも近い将来形成する可能性は人材的にはある。すでに形成されつつある日本のクリスチャン臨床心理士集団は、教育環境、雇用システム(経済的報酬)が異なるものの、一部が移行することは容易であると考えるからである。むしろ、教会や神学校にそうした経済的負担を担う覚悟があるか否かが、大きなハードルとなるだろう。(アメリカでも経済的負担が大きな問題になっている。)

(5)ただし、牧会者が、カウンセリングの本格的訓練を経ずに、現場で実践しながら学習していく日本の現状を考えれば、当面は、牧師の自己研鑽、神学校後教育、生涯教育、牧師向けSV活動などが今後、なおいっそう考慮されるべきである。
 またこれについても、教育環境、経済的負担が大きな問題となる。
 個々の神学校、個々の教団で牧師の生涯教育が行われているが、上述↓の手当ても加味したもので、より体系化、組織化された、臨床実習的な高度な内容のものを、多様な課程で提供する必要がある。



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2020.01.23 Thursday 12:14
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2008/09/16 10:51 PM posted by:
keiko さん

「キリスト者の12ステップ」
「牧師婦人たちのケアのための会」
どれも必要なものです。
どうぞその活動を広げていってください。
そしてその体験を蓄積し、私にもフィードバックしてください。

女性教職、牧師夫人について、現状をどう理解し、どう周囲を変え、そして自らを高めていくか。
もしかしたら一番緊急度の高いテーマかもしれません。
2008/09/15 11:40 PM posted by: keiko
藤掛先生
講演会のレジメありがとうございました。
読みながら、講演会に行きたかった。もっとお聞きしたかったと思いました。
今までの疑問などをまとめていただいたようで、感謝しています。
取り組んでいます、「キリスト者の12ステップ」のこともこれからの方向性が見えたように思います。
まだまだ、取り組みはこれからなのですが、ゆっくりですが、確実に進んでいけたらと願います。
今は、牧師の問題にあわせてと言うよりも、牧師婦人たちのケアのための会が少しづつ広がってきています。
その広がりの中で、牧会のひとつの働きとして、教会に広がっていけたらと願います。
先生のお働きが祝福されますように。感謝します。
また、先生が精力的にお働きをしておられるご様子に、敬服いたします。
お体にお気をつけておすごしください。
2008/09/08 10:33 AM posted by: ふじかけ
じゅんさん

いろいろなご体験をなさったのですね。
牧師向け自助グループ。
そう遠くない時期に、日本でも活発にナルのではないでしょうか。
最近有名なリカバリーグループも、日本の草創期には、まず牧師向けのリカバリーグループだったと、尾山先生にうかがったことがあります。
2008/09/07 8:55 AM posted by: じゅん
はじめまして。

 数ヶ月ほど前より、楽しみにブログを拝見させていただいています。

 牧師の問題行動に対処する方策が分からずに困っていたところ、水谷先生のブログから(アエラ記事・牧師の不祥事問題の記事でした)、こちらへ参りました。

 今の私の課題に必要な事柄を、驚くほどタイムリーに取り上げてくださるので、本当にありがたいです。このブログに出会わせてくださった神さまに感謝しています。

 夫が牧師、私も教職にあり、就任12〜13年目になります。
 
 ここ数年、牧師でもある夫の経済的不祥事・依存症に悩まされ続け、専門の相談機関に相談したりもしたのですが、「何かが違う・・・」と、どうしても感じてしまいます。

 この記事を読みまして、また私自身の必要もあって、牧会カウンセリング、しかも牧師を対象にしたカウンセリングがもっと必要だと思わされました。

 牧師の不祥事問題は明らかになることが希で、相談機関もほとんど無いのが現状だと思います。先輩牧師に相談しても、「信仰問題」として解決を迫られる場合が多く、私自身、それだけではどうにもならない所にあります。 牧師や教職にある人たちの「GA」・「ギャマノン」(名前が矛盾しているかしら)があるといいな・・・などと思っています。

 

 
 

 
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