記事:「心理臨床家は、いかに育てられ、いかに守られているか」
2009.07.03 Friday 10:01
 *「牧会ジャーナル」誌・2009年夏号(6月1日発行) 掲載
<本記事はいったんブログ掲載しましたが、掲載誌発売前は自粛すべきとの判断で、いったん削除し、今回改めてブログ掲載としました>

「心理臨床家は、いかに育てられ、いかに守られているか」

 私は臨床心理士として、様々な人とお会いし、また様々な事態に関わる仕事をしている。周囲からは、大変でしょうねとよく言われるが、おそらく多くの方々が想像するよりは、守られている世界にいると思う。臨床心理士の仕事の世界には、いろいろな仕組みがあって、ベテランカウンセラーであろうとも、育てられ続け、守られ続けているのである。


 逆に、臨床心理士の立場から牧師業界を見ると、神学校とインターンを終えると、あとは個人の情熱と資質で頑張りなさい、といったかなり大胆な放任主義があるように見える。

それはシュワルツネッガーが、単身戦地に赴き、素手で敵の軍用ヘリコプターに立ち向かい、最終的に勝ってしまうような映画を地でいくようなものである。


 もちろんそこには、神からの召命を受け、神から養い育てられ、守られるという信仰があるわけであるが、なおそれに加えて、牧師を長期的な戦略で育てる仕組みや、守っていく仕組みを十分に検討すべきではないだろうか。


 本稿では、臨床心理士の育てられ、守られる仕組みのいくつかを紹介することとする。ただし、牧師の仕事と心理臨床の仕事は本質的に大きく異なるものであり、また必ずしも臨床心理士業界の仕組みが優れているとも言えない。しかし、些細な仕組みや考え方からも、キリスト教界のヒントやアイデアにつながることもあると考え、あえて紹介する次第である。

 

 

■■  倫理基準がある


 臨床心理士業界には各種の包括的で共有された倫理基準がある。


 倫理基準は、臨床心理士の活動が適正になされるために、そして何よりもクライエントに対して確実に専門的な貢献ができるようにするために存在している。この基準を守ることで、若手臨床心理士からすれば、様々な落とし穴に陥ることを避けることができるし、無用な混乱や不祥事の発生を抑えてくれる。


 たとえば倫理基準には「多重関係の禁止」というのがある。これは、カウンセラーとして関わったら、その人とはそれ以外の関係(友人、恋人、あるいはビジネス関係など)を持ってはならないというものである。クライエントとは私的交際が禁じられるし、贈り物などを受け取ることもしない、また、逆にあらかじめ家族や友人に対してはカウンセリングを行わない、などいろいろな場面に適用される。この倫理基準は、実は非常に重要である。この基準ひとつを守るだけで、カウンセラーとして相手を不当に操作してしまう危険性から免れるし、面接室でのクライエントからの好意的な感情に対しても冷静で治療的に受け止めることができるのである。


 
そしてさらに大事なのは、こうした倫理基準は理念ではなく、制度として存在しているということである。すなわち、倫理基準に反した臨床心理士に対して、調査や処分についての細かい具体的な手続きを定め、運営しているのである。


 代表的なものには、日本心理臨床学会、日本臨床心理士会、各都道府県の臨床心理士会、臨床心理士認定協会など、それぞれによって制定されている倫理綱領、倫理規定などが る。
                                                                           


 筆者もかつてある都道府県の臨床心理士の倫理委員を3年間つとめたことがあったが、調査の仕方(調査者の選定、調査期間)や、処分の選択肢など細かい規定に基づき活動をしていた。臨床心理士業界でなくとも、こうした活動に伴う処分決定までの迅速さ、人権上の適正手続き、調査組織の独立性といったところは特に留意すべきものだと思う。

 

■■ 治療契約の考え方がある


 
倫理基準に加え、カウンセラーが「治療契約」に基づいてカウンセリングを始めるという考え方も、実に良い影響をもたらしている。カウンセリングというと、サービスであり、いろいろなものを包み込むような働きであると見ている方も多いとも思うが、その本質は「契約」なのである。カウンセリングをする部屋、日程や時間帯、料金、回数、そしてカウンセリングの目標などを双方合意して契約する。意外かもしれないが、初回の面接で話をうかがい、クライエントが希望しても、カウンセラーの側で、契約できないと判断したら断ることも許されているのである。


 治療契約という考え方は、難しい心の問題や動きをもっとも扱いやすいように、長い年月をかけて経験的に作り上げられてきたものである。したがって、カウンセリングは専門的人工的な人間関係であると言えるのであるのだが、面接室にやってくるクライエントは、そして時にカウンセラーまでもが、面接室につい自然発生的な親子関係や友人関係を持ち込みがちである。そこで「治療契約」をきちんと行うことが義務づけられ、カウンセラーとして、自分の関わりの特殊性を常に意識させる仕組みが出来上がっているのである。

 

■■ 事例研究、事例検討を頻繁に行う


 カウンセリングというのは経験が大切にされるべき領域である。ベテランと若手では決定的な違いがある。しかし、同時に、その経験は他者に開かれ、共有されたものでなくてはならない。そして他からの批判や評価を受け、一定の論理的整合性を持つべきものでなくてはならない。臨床心理士が自らの経験を閉ざし、絶対化すると、その人の活動は活発でも専門家ではなくなってしまう。そして、これは個々人の問題でなく、業界全体として確保すべき事柄である。


 こうした専門性を支えるひとつ仕組みとして、事例研究会や事例検討会がある。心理臨床の現場にはこうした機会が潤沢に与えられている。職場、職能団体、学会、研究会と莫大な数のものが運営されているし、活字化されている。また組織ごとに、非公開資料として部内で学ぶ事例集なども多く存在している。これらは、臨床心理士の専門性の命綱として機能していると言ってもよいだろう。

 

■■ スーパーバイズ制度が盛んである


 臨床心理士の最大の「育てられ・守られる」仕組みは、スーパーバイズ制度の存在であろう。これは義務ではないが大いに推奨されているものである。


 臨床心理士は個人的努力で、自分を指導してくれるスーパーバイザーを探し、指導料も自腹で払い、定期的に面接指導を受けるのである。指導内容は、個々人の契約であるため、まちまちであるが、多くは、利用者が自分のカウンセリング事例をスーパーバイザーに報告し、その事例の理解や今後の展開について上級者ならではの助言が行われる。加えて、カウンセラーとしての生き方や個人的な問題などを背景に見据えた助言も行われる。

 私もまた、常に数人のスーパーバイザーをしているが、私自身もまた私のスーパーバイザーがいて、今は月に一度のペースで指導を仰いでいる。


 スーパーバイザーを探すことは大変であるが、そうした人材の一覧表が存在したり、大学院が紹介したりしている。指導料は、これもまちまちだが、通常のカウンセリング料金と同じかすこし高めの設定が多いように思う。しかし、若手臨床心理士の収入は非常に低いのが相場なため、その経済状況を考慮して決めることも一般的に行われている。


 また形態も一対一の継続的なスーパーバイズが基本であるが、意中の指導者を招いて、グループで指導を受けるスタイルがあったり、個人で受けるものの短期的に受ける(例:コラージュ療法事例について2回限定で設定する)スタイルがあるなど、状況に応じて工夫されている。

 


 倫理基準、治療契約、事例研究、スーパーバイズ。これら4つの考え方や仕組みを簡略に紹介したが、これらによって、臨床心理士がいかに育てられ、守られているか、その効果は絶大であると思う。

 

| ふじかけ | キリスト教記事 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
スポンサーサイト
2020.10.17 Saturday 10:01
| スポンサードリンク | - | - | - | pookmark |
Comment
2009/05/15 1:14 PM posted by: ふじかけ
永井さん

当ブログにお寄りいただき、ありがとうございます。
雑多な活動記録のようなブログですが、よろしかったら、リンク、どうぞお貼りください。
2009/05/15 1:11 PM posted by: ふじかけ
keikoさん

<牧師たちを守り、また指導してもらえるような、組織作り、またガイドライン等が作られていくこと>。
本当に大切なことですよね。

自然な流れのなかで、そう遠くない時期に、いろいろな仕組みが出てくるような気が私はしています(楽観的?)。
2009/05/15 12:01 PM posted by: 永井
 はじめまして、永井と言います。今日、このブログをはじめて拝見させていただいて、私のブログに、ぜひリンクを貼りたいと思いました。コメント欄からで申し訳ありませんが、よろしいでしょうか?
 よろしくお願いします。
2009/05/14 9:34 PM posted by: keiko
藤原先生のご意見本当にその通りだと思います。
もちろん臨床心理士と牧師、牧師夫人の立場と役割や、システムに違いはあって、同じに取り扱うことは、出来ませんが、人と向き合う仕事であるということでは、同じではないかと思います。
でも倫理基準も、治療契約もないままで、なんの保護もない状態で、霊的な取り扱いという名の下に、実際病む方々とカウンセリングをしなくてはならなくなります。そして、良い関係を作ることが出来ればいいのですが、いつもいつもそのような関係を作ることは、難しいことです。約束もなく来られて、これから出かけるというときなど、お断りしたら、「愛がない」といわれてしまうこともあります。問題の本質に少しはなしが及ぶと、こちらが攻められてしまうこともしばしばです。つくづく、牧師たちを守り、また指導してもらえるような、組織作り、またガイドライン等が作られていくことを、切に望みます。特にこれから働きをしようと願っておられる、若い牧師たちが、恐れないで、人々のかかわりが出来るようにと願っています。
name:
email:
url:
comments:
Trackback
トラックバック機能は終了しました。
Search
Profile
Recommend
Recommend
Recommend
Recommend
Recommend
雨降りの心理学 雨が心を動かすとき
雨降りの心理学 雨が心を動かすとき (JUGEMレビュー »)
藤掛 明
雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
Category
Archive
Latest Entry
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Admin
Calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>
記事分析
アート情報
Sponsored links
Mobile
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM