論文:「プロテスタント・キリスト教神学校学生における実践神学学習の認識および精神衛生についての調査報告(部分)」
2006.12.27 Wednesday 14:23
プロテスタント・キリスト教神学校学生における実践神学学習の認識および精神衛生についての調査報告

1 はじめに(本研究の目的)

 これまでプロテスタント・キリスト教神学校学生(以下、神学生)について随想や素朴な言及はあっても、本格的に取り上げた論文は見られない。さらに複数の神学校にまたがる実証的研究に至っては皆無といえよう。
 しかし、近年、対談や講演といった比較的時代の新しい問題を鋭敏に検知できる場を中心に、僅かであるが、神学生の変化が指摘され始め、神学校教育のあり方が問われるようになってきた。1997年、福音派の牧師3名と、精神科医1名による対談が「今日における「霊性」と教会」として書籍化されたが、そこでは神学校教育についてもとりあげられ、神学生の人間関係、友情の在り方が希薄化してきているとの問題提起や、神学校カリキュラムにもっと人間学に裏打ちされた実践的なものを導入する提言などが見られる。2004年には、主流派の神学校教師を中心に3名の対談が、「神学校の現実と今後の課題」としてキリスト教年鑑の別刷りの中でとりあげられ、神学生の変化、実習教育の取り組み、神学生の召命と辞める決断など、多岐に亘った問題が切実に語られている。2005年には「みちしお」誌上に信徒らが匿名で2回に亘って対談が掲載されているが、その内容は、前年の「神学校の現実と今後の課題」に非常に共通したもので、信徒の側から指摘を行っている。右斜め下

 なお、本研究の準備の過程で、2004年7月に聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センター主催で「神学生の意識調査」をテーマに、高橋克樹(日本聖書神学校総務部長)による「神学生の現状と課題」という講演会を開催した。その会上、最近の神学生の変化として、―性神学生が増加していること、⊃棲慇犬稜齢が20代から60代までどの世代もほぼ均等の状態にあることが指摘された。また、牧師や牧師夫人が燃えつくケースが増えており、神学生養成の課題であることや、ドメスティックバイオレンスや薬物依存の問題など、専門的な相談に対応できるよう専門教育の必要性があることを提言している。
本研究はこうした最近の実践的な神学教育や神学生の精神衛生についての問題提起をふまえ、基本となる実態・意識調査を行うことを目的としている。まず、神学生にかかわる一般属性や実践神学学習の認識、神学生自らの精神衛生状態について、総花的に多項目の調査票を用意し、単純集計、男女や年齢によるクロス集計を行い、基礎的な統計情報を報告する。そのうえで、2群比較・検討を行うことを目指し、(雑で高度な牧会相談に対応する困難度の高低による違い、燃えつき度の高低の違い、情緒的支援者保有度の高低の違いにより、どのような神学生象の特徴が出てくるのかについて取り上げ、考察していきたい。

2〜7 省略

8 考察

(1)将来の牧会相談についての自信・困惑について
今回の調査では、将来牧師として信徒の相談にのる際に自信が持てず、困難を感じる神学生群についてみたところ、現在の生活のなかで、神学生同士の人間関係に悩んでいることが認められた。
 このことは、神学生について「(神学校の)寮でのぶつかり合いを若い人は遠ざける」(江藤)、「交わりを遠ざける」(大住)傾向が指摘されていることに関係していると考えられる。というのも、本来、神学生が共同生活をするなかで、自分をさらけ出し、自分が受け入れられたという経験を持つことが大切であり、そのことが、他者との深いかかわりを持つ基盤となると考えられるからである。しかし、親しい交わりを避け、表面的、課題遂行的な関係しか持たずに済ますようになると、そうした基盤が得られなくなる。相手から批判、拒否されることを恐れたり、たとえ失敗し、傷つくことがあってもそれを乗り越えて関係をより深めていくのだという期待を持てず、いざというときに踏み込んだ関わりができにくくなるのである。一番近しい神学生仲間との関係に、悩みや問題をより感じるという背景には、こうした「関係の希薄化」があるのではないかと考えられる。
また、神学校の寮生活で自然と学習する人間関係とは別に、意図的に人間関係を学ぶものとして臨床牧会教育という実習プログラムがある。今回の調査では、やはり将来、信徒の相談にのる自信がない神学生群は、この実習プログラムについて価値を置いていないことが認められた。濃密な人間関係を体験学習することを避けるという点では、この二つの結果(神学生同士の人間関係の悩みと、実習に価値を感じない)は表裏の関係であるものと考えられる。
 それでは、さらけ出し、受け入れ合う人間関係を持つために必要なものは何であろうか。それは自分の弱さを直視し、自分には他からの助けと支えが必要であることを自覚、体験することである。それがないと、アダムとエバ(創世記3:7)ではないが、悪い意味で弱さを隠し合いながら、競い合い、他罰的に反応することになるからである。
 その上で、具合的な対策として、第一に個人主義的な学習環境を減らし、神学生間で深い友情関係を築けるような配意をしていくことである。第二に実践的な分野については、実習や体験学習を増やし、自己洞察、人間洞察を深めていけるようにすべきである。第三に、これらの教育はその性質上、神学校教育期間で完結するものではなく、卒業後の継続的な実践神学教育や、牧師グループによる相互牧会などの機会を用意していくことも重要な課題である。自らの研修体制がない場合でも、少なくとも、神学生や卒業生に対して、他機関が開催する研修機会の情報を積極的に紹介していくことなど、着手できるものから行うことが肝心である。

(2)神学生のメンタル・ヘルスについて
 心身ともに消耗し意欲を喪失している状態(燃えつき症候群)にあると思われる、メンタルヘルスの不良な神学生群についてみたところ、悩みを抱えながらも、それを「神学校以外の牧師」、「未信者の友人・知人」、「医師」に相談する傾向にあることが認められた。このうち「医師」というのは、すでに精神医療的手当を受けざるえない状態にあることを示唆しているが、いずれにしろ、これらは現実の生活(神学校生活)から離れた人物に、相談が向けられていることを示すものである。すなわち、自分の悩みを身近な教師や仲間に話すことができず、彼らには知られない領域で、(それも信仰領域からも離れた未信者や医師を含み)処理される傾向を示しているものと考えられる。
 有馬は、牧会者の精神衛生について、タブー視されてきたものであり、「牧会者は自制する者(テトス1:8)であるはずだから、一時的な混乱には目をつぶってなにもないかのように交わりを保ち続けようという善意が、教会の常識であった」と述べている。こうした問題は、一種の聖俗二元論であり、神学生であれば、神学校生活において、良い自分は出せても、悪い、悩んでいる自分は出せないといった状況を示唆しているように思われる。これは、先の項で、将来、牧会相談に乗る自信が持てない群が、その根底には裸になれない、他者とぶつかりあえない状況があると考えたことと共通する。メンタル・ヘルス不良群の場合もまた、同じような問題を根底に抱えているのである。ただし、こちらの方が、回避的な対処法を身に付け、自分自身の性格や信仰についても悩んでいる状態にあり、先の「将来牧会相談に乗ることに困惑を覚えている群」以上に、自分自身をさらけ出せない脆弱さを抱え、孤立している姿が推測される。ここには、真摯に自己洞察を行うことを回避し、鎧を着ける防衛の姿が見えるのである。
 このような結果、何が起きるかというと、坂野は、「聖書は学ぶけれども自分自身はわかっていないまま神学校を卒業した場合、伝道にしろ牧会にしろ、結局自分自身の心の傷を押し隠すような形での競争心とか名誉心とかねたみによて行ってしまうということがある」と指摘している。その場合、過度の補償が生じ、周囲との比較において自分を喜ばせたり、困難な状況では非常に他罰的な態度を見せがちで、自己顕示的になる。有馬(1996)は、牧師のメンタルヘルスを語るなかで、そうした状況を自己不信と呼び、「自己不信は、多くの場合自己への過大評価の衣を繕い始める」と指摘している。
 このような問題の対策として、第一に、徹底的な自己洞察、自己点検の機会を設け、自分の性格の長所、短所や、未処理の心理的問題について見つめる経験を持たせることが重要である。第二に、それで明らかになった問題や必要に応じて、霊的、あるいは心理的な手当を受けられるよう配慮すべきである。第三に、日頃から、伝道者としてモデルとなるような人物や、身近にあって助言をしてくれる人物を確保し、自分自身の「俗」の部分をも開示し、関わりをもってもらうことも大切なことである。

(3)神学生の情緒的支援者保有について
 将来の牧会相談に乗ることについての自信も、あるいは現在のメンタルヘルスの良好度についても、共通して情緒的支援者がいることが良い影響を与えていることが認められた。牧会相談に自信がない群も、メンタルヘルス不良群も、どちらも、「神学校内」、「牧師・信徒」だけでなく、「家族」についても情緒的支援者を有していない傾向にあることが認められた。本来、家族がもっとも有効かつ現実的な情緒的支援者であることを考えると、問題の深刻さがうかがわれる。
 坂野は、現場に出た牧師がドロップアウトする問題にふれ、「本当の意味での友という関係、フレンドシップが築けない」ところに問題があるのではないかと指摘している。
 こうした情緒的支援者を確保することについては、これまでの他の項での考察に重なるが、神学生自身が周囲との関係において心を開き、人間関係を深めていくことにつきる。
しかし一方で、神学校にあっても、送り出した教会にあっても、神学生とかかわる教師、牧師、信徒一人一人が情緒的支援者としての役割を積極的に果たすことが求められているとことも重要な一面である。双方の努力によって、情緒的な支援体制は整えられ、多くの問題を克服することが可能になる。これは、先にみてきた「他者から受け入れられているという体験」や「聖俗統合、俗部分の開示」をも含め得る関係を意味している。
 「周囲に理解者や祈り、支えてくれる人がいないと、このような(神学校での)学びを続けるのはむずかしいと思った」「(アンケート)記入後、記入したときよりも、もっと自分はいろいろな人に支えられ、受け入れられて生かされていると思いました」(アンケート協力神学生、自由記述欄)という声のとおりである。


9 おわりに(まとめ)
 
本研究を通して、実践神学の学習を求め、牧会カウンセリングや実習などの臨床訓練を求める神学生らがいることがわかった。また、将来牧会相談についての自信度、困惑度は神学生自らの対人関係のあり方と関連していることが示され、それは他者との、さらけ出し、受け入れ合うような体験を通して牧会相談者として成長していくことのできることが推察された。また、現在のメンタルヘルスについては、自ら抱える悩みや問題を、身近なかかわり(神学校生活)の中で開示できることが良い影響を及ぼすことが示され、そうした関わりの中で自分自身の傷や特性を深く理解することで、肉的俗的な動機から解放されることが推察された。一方で、情緒的支援者がいることで、他者への援助的かかわりも、メンタルヘルスも、また神学校生活全般の適応度もあがることが示され、同時にこの情緒的支援は、神学生とかかわる教師、牧師、信徒がそれぞれに追うべき責務としても理解された。
本研究では便宜的に、「実践神学の学習態度」と「神学生のメンタルヘルス」に分けて、調査項目を設定したが、これらは相互に密接に影響し合っており、双方への働きかけが同時に作用しあうときに、人間援助者としての人材養成が大きく進み、また深まっていくものと考えられる。特に後者のプログラムはまだ神学校教育で本格的にはとりあげられていない分野であり、今後、上述のような相互の働きかけが組み合わされた神学生のための自己洞察やカウンセリングプログラム等が種々工夫され、提供されることが切実に望まれる。

文献注 省略
各種図表 省略

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藤掛 明
雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
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