雨と傘の世界を楽しむ・その2
2009.06.08 Monday 18:06

 ■  大人にとっての子ども時代の雨

 こうした子ども時代の庇護や自立のテーマというのは、決して子ども時代だけのものではない。大人になっても、自分の子ども時代の雨と傘の物語を懐かしく思い起こすときがあるが、それは回顧すると同時に、今現在、その人が、庇護なり自立なりのテーマに直面しているのである。

 たとえば、幼い自分が小さな傘をさしながら歩くイメージをしみじみと思い返す若者が、実は親の期待とは異なる進路を選択しようとした直後であったりする。また自立が必ずしも親からのものではなく、もっと広い意味でのもので、転居や転職であったり、大事な人物との離別であったりもする。

 いずれにしろ、人は、人生のすべての時期に庇護や自立の体験を繰り返している。そして、それを幼い頃の、より純粋な庇護、自立の体験に重ねあわせて、思い起こす。それは多くの場合、傘の物語となって現れるのである。


■ 傘は個人の空間宣言

 本書の冒頭でも述べたが、詩人伊藤海彦は、傘をさすと人はきまって一人になるという。それは、まるで小さな部屋のなかに見えない扉を閉じて入りこんだようにである。個人の空間を傘の下に確立する趣である。子どもが親とは別に自分の傘を使い始めたとき、単に自力で雨を避け始めただけでなく、自分個人の空間を味わい始めているということなのである。

 そう考えると相合い傘というのは格別な親密性の意味があることになる。なにしろ、他人の傘という個人的世界に、わざわざ入って、一つの世界を共有するのである。特に自我の確立が始まる思春期の異性との相合い傘はこの辺りの事情を如実に示す。

 川端康成の得意の短編小説のなかに、「雨傘」という雨の日の相合い傘を扱った小品がある。

 主人公の少年には、淡い思いを寄せ合う少女がいた。ところが自分が父の転勤で引っ越すことになったため、少女と別れの写真を写真屋で撮影することにしたのである。その日は霧のような春雨だったので、少年は傘を忘れた少女に傘をさしかける。二人は、身を寄せ合うことができずに、傘をさしてはいても片一方の側が濡れてしまうのであった。

 目的の写真屋での撮影でも、最初、二人は恥ずかしくて長イスで並んで座ることができなかったほどであった。

 撮影が終わり、写真屋を出ようとしたとき、少女が先に傘を持って表に立っていた。傘を探す少年に見られてはじめて、少女は少年の傘を持って出たことに気がついた。そしてここで少女は驚くのである。なぜなら「(なにげないしぐさのうちに)彼女が彼のものだと感じていることを現した」からである。

 そこから、二人の関係性が大きく変化する。帰り道、少女が傘を持つそのままで歩き始めるのであるが、傘についてのただこれだけのことで「二人は急に大人になり、夫婦のような気持ちで帰って行くのだった。」

  ここでは、彼の傘が彼の個人世界の象徴である。その傘を少女がうっかり自分のものだと勘違いして持ち出したというのは、彼女が抵抗なく彼の世界を共有したことを示しているのであり、「夫婦のような気持ち」になったのであった。

■  傘が首にかかってますけど

 傘が個人空間の確立であるとすると、それがうまくいっていない情景やエピソードもことかかない。

 ユニークな絵日記である「傘が首にかかってますけど」(フクダカヨ)の中に、表題作そのままの人物観察のくだりがある。それは、駅から下りたおじさんが、首に傘の柄をひっかけてネクタイのように傘を前にぶら下げながら、けっこう雨が降るなかを歩いていくところを目撃したものであった。そのおじさんはスーツにネクタイ姿で、鞄を左手に持ち、平然と濡れながら歩いていってしまう。作者は「傘はささなくてよかったのでしょうか?」「もしかして傘を首にひっかけていることを忘れているのでしょうか?」と驚きながら報告している。

  これは自分の空間を作り主張することを放棄した人の姿がユーモラスに描かれていると見て取ることも可能である。傘を開けばいつでも使え、身を守ることができるのだが、面倒くさい。濡れるほうが気が楽だとでも言いたげな人物の情景である。
 
■ おじさんのかさ

 一見似たような話に、「おじさんのかさ」(佐野洋子)がある。こちらのおじさんは、とても立派な黒い傘を持っていて外出時には必ず持って出るのであるが、雨が降っても、やはり傘を開かない。理由は明快で、傘を濡らしたくないというのだ。

 主客転倒の面白さもさることながら、傘を個人空間を守る作業と見るなら、このおじさんは、「傘を開く」というチャレンジをすることを絶えず回避し、決して失敗しないようにしているということができる。自分の世界を主張せず、生の世界に関わっていかない生き方であり、一種の自閉、自己完結の世界に生きているともいえる。

 もっとも、こちらのおじさんは、とうとう傘を開いて、冒険の世界に出ていき、その喜びとすがすがしさを味わうことになるのであるが。

(つづく)

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