教会生活の寿命
2010.02.11 Thursday 09:48
  統計によれば、人生のある時期、キリスト教信仰を持っても、必ずしもその後長きにわたって教会生活を送るということにはつながっていかない。最近読んだ、ある記事では、平均すると数年で教会を去るといい、ある記事では、10年続けて教会生活を送る人は2割に満たないと、ある。

 私は、こうした問題を点検し、教会としてなすべき自己改善を行おうとすることには、まったく同意する。ただ、こうした話題を耳にするときの前提に、人はきちんとした信仰を持てば、自動的に一生教会生活を送るはずである、という期待がありすぎるように思うことがある。

 人は、その人の大切な生き方を抱きながら生きている。そして、人生の様々な段階に、与えられた課題を克服しながら、生きている。そこでは刻々と変貌し続けている。児童期にある熱心な信仰者が、思春期に入って自動的に信仰を継続するわけではない。そこで、再度、自らの信仰を吟味し直し、思春期への新たな適応をはかるなかで、信仰も質的に変化・発達していく。

 大学生になる。社会人になる。結婚する。親になる。転職や昇格、配置換えで職業上の大変化を経験する。子育てで危機を感じる。大病を患う。など、… 思春期以降も、次々に人生の課題の質が変わっていく。そしてその都度、信仰のあり方も変化・成長を求められるし、ある人は乗り越え、ある人は教会を去っていく。そしてある人は、時間をかけて、別の人生の時期に教会に戻ってくる。

 教会生活の寿命問題を考える際には、「寿命」でなく、回り道であること、そして、もともと最初から信仰に致命的な問題があったのではなく、健全な成長のなかで、信仰の次なるステップに移行するのにとまどったり、失敗したりしたものと考えたほうが良い場合が多いのではないだろうか。

 昨年暮れに、アラフォーの女流作家の自伝を読んだ。彼女は、人間関係をうまく持てないつらさを味わうなか、受検一辺倒の高校時代に、マイナーなロックバンドの過激な追っかけになり、追っかけ仲間の共同体の中で救われる。高校卒業後、右翼運動に傾倒し、集会や勉強会、宣伝活動に人生の目的を感じ、充実感を覚える。さらにその後、文筆業に開眼していく。過激な追っかけも、右翼活動も、彼女にとって、その時々の課題と格闘していたことが伝わってきた。

 最近、海外で信仰を持った帰国者への処遇が議論されている。彼ら・彼女らが帰国した際に日本の教会に定着しないことがまま起きていることを契機として、教会としての自己改善をはかろうとする建設的な議論である。この論議や実際的な対応はますます発展することを望むが、同時に、海外生活や海外赴任・留学が、その当事者の人生の転機としての役割を果たしていることも起き、多くの人が海外時代を通じて、人生の大きな発達を経験するということも強調しておきたい。

 その際の大事な視点として、彼ら・彼女らが生き生きと教会生活を送っていたころの環境を理想とするだけではなく、彼ら・彼女らの人生の物語が、海外生活や帰国を契機として、今どう展開したのかということへの洞察と手当も大切なのではないだろうか。

 長きにわたって忠実な教会生活を送ることの恵みは絶大である。しかし、人生の旅のなかで、誰もが教会から離れる可能性はある。私の関心は、人がどう教会から離れないようにするのかという以上に、いったん離れた人が、どう復帰できるようにするのか、である。
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2017.12.17 Sunday 09:48
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Comment
2010/11/12 5:48 PM posted by: -
管理者の承認待ちコメントです。
2010/11/12 1:38 PM posted by: -
管理者の承認待ちコメントです。
2010/03/01 11:08 PM posted by: ふじかけ
篠原健治さん

準備教育、受洗後の教育。そうした大切さを十分認めたうえで、また互いに祈り、分かち合い、学び会う大切さを認めたうえで、…そのうで、上記のブログ記事の視点をあえて提起させていただきました。
2010/02/13 7:13 PM posted by: 篠原健治
 『拡大する人生』というバプテスト宣教団が出している信徒訓練プログラムの最初に、洗礼を受けた後、キチンとした信徒教育を受けない場合、多くのキリスト者が次のようなプロセスを経るという記述があります。

.魯優燹璽鵑了(洗礼を受けてうれしくたまらない時期)
∪錣い了(礼拝・祈祷会を守るのが大変になる時期)
5刃任了(教会の諸問題に疑問を感じる時期)
っ亀瓩範鞠發了(救いの確信が失われそうになる時機)
ツ戚曚クリスチャン(隠れキリシタン状態?)

 私たちの教会では、洗礼を受ける前の準備教育もさることながら、洗礼後3〜6ヶ月かけて今後の信仰生活について学び、その後教会奉仕に携わってもらうようにしています。
 また、信仰生活の長い人にも信仰の基礎を学び直すクラスも随時設定しています。

 普通教会では、洗礼を受ける前の人を「求道者」と呼びますが、よくよく考えてみれば、洗礼を受けた者もキリストの道を求める「求道者」であるハズです。

 お互い共に祈り、分かち合い、学び合うことが、信仰生活の醍醐味だと信じています。
2010/02/13 2:32 PM posted by: ふじかけ
はちこ さん

コメントありがとうございます。
記事内容に、疑義・非難のコメントがけっこう来るのではないかと思っていました(思っています)ので、共感してくださるコメントに、ほっとしました。

はちこさんのような方々が、サポートの働きをされているのですね。心強いです。サポートの新たな展開やご意見もおりおりにお教えください。

今回、はちこさんが、32歳以上であることがわかりました(笑顔)。
2010/02/13 12:58 PM posted by: はちこ
藤掛先生、
帰国者について、先生がおっしゃっていること、じつにその通りだと思います。

私は、海外で信仰を持った帰国者をサポートするミニストリー、JCFNと長年かかわり、現在では理事をしています。
帰国者のことを考えることが、日本の教会にとっても成長の機会となり、
また、海外に出たことをきっかけに信仰を持つようになった帰国者本人たちも、今度は「帰国」を契機にして人格的にも信仰的にもさらに成長していってくれることを願っています。

彼らの「人生の物語」の展開への洞察と手当… なるほど。ヒントをいただきました。ありがとうございます。

それから、私は信仰を持って32年になりますが、この間ずっと順調だったわけではなく、何度かバックスライドを経験しています。この記事を読ませていただきつつ、そんなことにもいろいろ思いを馳せました。
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2010/03/07 4:39 AM posted by: はちことぼぼるの日記
 しばらく前に読んだ、臨床心理士の藤掛先生のブログ記事より。とても共感し、いろいろ考えさせられたので、ちょっと長いけれど、引用させていただきます。 統計によれば、人生のある時期、キリスト教信仰を持っても、必ずしもその後長きにわたって教会生活を送るとい
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