連載ΑТ蘓ГΔがい
2006.12.06 Wednesday 17:07
背伸びと息切れの時代・第6話
「顔いろうかがい」

 ある牧師がこんな話をしてくれました。
 「かつて犯罪(窃盗)を犯して施設に収容されたことのある若者を自宅に迎い入れ、生活の面倒を見たことがありました。真面目な青年で、家族ともなじみ、私も我が子のようにかわいがったつもりでした。彼は仕事も頑張り、なにもかもが順調にいっていたように思えました。ところがどうでしょう。なんの兆しもありませんでした。今もまったく連絡がありません。またいなくなる直前に僅かでしたがお金も盗られてしまいました。それをどういう気持ちはありません。彼にしても借金を申し込めば私がそれ以上のお金を気持ちよく渡すことはわかっていたと思うのですが。・・・残念です。」
これはいったい何が起こっているのでしょうか。突然飛び出した若者は最初から、その牧師をしたたかに利用するつもりだったのでしょうか。
彼は、一言でいうと、「自分が人から拒否されるのではないかという強い不安」と戦っていたのだと思います。たとえてみますと、ちょうど人が、一定の期間、食物に飢え乾くと胃が萎縮してしまう減少に近いものがあると思います。そのような状態の体は、突然食物が与えられても、うまく消化・吸収できません。愛情の飢餓状態にある人たちもちょうど同じなのです。

■ 拒否されることへの不安
ここで、孤独な青年たちのことを思い描いていただきたいと思います。不遇な環境を背負って、人生の早い時期から愛情の飢餓感と戦っています。また、思春期に、つっぱったり、おちゃらけたりすることもなく、もくもくと我慢を続けている若者たちです。
 彼らの多くは、貧困や家庭の崩壊、能力的な制約などといった、けっして本人の責任でない深刻な負因を、幼い頃から無理矢理に背負わされています。そして、あえいでいるのです。幼い頃から、親や身近な大人の愛情を確認しようとして、家の金を無断で持ち出したり、親類や友人宅、あるいは学校などで盗みを働いたり、店舗で万引きをしたりといった問題行動を見せることもあります。
 彼らは、心の奥底に、甘えや依存の強い欲求を持っていますが、それを素直には出せないのです。なぜなら、自分のありのままの姿を出したら、とうてい受け入れてもらえないだろうという感覚があるからです。そして、自分に対する肯定的な感覚が持てないままに、「拒否される不安」との壮絶な戦いを心の中では続けているのです。だから頑張りはするのですが、少しの失敗や不安の予感にも心を乱してしまい、逃げだしてしまうのです。
 実際にそうした若者たちから、彼らのこども時代の話を聞きますと、放置されていたり、不当に圧力をかけられていたりしているその現場に、タイムマシンで駆けつけて、「あなたは犠牲者だ、悪いのは親であり、周囲の状況なのだ!」と叫んでやりたい気持ちになることがあります。しかし、どのようにひどい対応をする親であっても、幼少期、児童期のこどもには、自分でなく親のほうが悪いという批判力はほとんどありません。逆に親に叱責され、拒否されてしまう自分こそが悪いと感じてしまうのです。思春期以降であっても、こどもが親を非難し、切り捨てることは、経済的、心理的基盤を失うことにつながる危険があって、なかなか不満を口にするのは難しいことなのです。

■ 勇気づけるためには
 こうして「拒否される不安」を抱えながら、ひたすら我慢の生き方を選択していくようになると、その人の一見まじめで素直な感じが周囲に印象付けられます。しかし、よく観察すると、大人や指導者の前で「顔いろうかがい」に終始していて、内面的な交流がなかなかはかれない状態にあります。彼らは大人や指導者の言動には過敏に反応するために、かわいげがあるし、指導場面ではなんの支障もきたしません。しかし、こちらが指導やかかわりがうまくいっていたと思っていたら、突然大きな問題を起こしたり、ふいに指導者の前から姿を消してしまうのです。当の指導者からすれば、「あれだけ情けをかけたのに裏切られた」という割り切れぬ思いを抱くことになりかねません。
もちろんこうした生き方は若者だけの専売特許ではありません。年齢があがり、大人であっても、同じように、はたからは理由がわからないままに、突前職場を辞たり、友情や愛情を破棄したりする「顔いろうかがい」の人たちは案外いるものです。
さて、このような「顔いろうかがい」の人たちとつきあうためにはどうすればよいでしょうか。まず、一朝一夕で解決できるような問題でないことを肝に銘じなければなりません。裏切られながらも一生をかけて粘り強くかかわっていく覚悟が必要です。もし途中で、嫌気がさして辞めてしまったら、それこそ彼らの拒否される不安を強化してしまうことになります。
 そして本人がわずかであっても、周囲と信頼しあいながら物事を達成していく経験を積み重ねること、そして失敗してもそれだけで人から決定的に拒否されることはないのだということを、その都度体験していくことが肝心なのです。
これは「言うは易し、行うは難し」です。私たちが、目先のことで一喜一憂せずに、長丁場で彼らを勇気づけていくためには、私たち自身がまず、自分の弱い部分も含めて他から勇気づけられる体験が必要で、それがないと本当の意味では続きません。
 また、当事者も、逃げ出さずに、失敗する勇気を持てるようになるためには、顔いろうかがいをしなくても済むような大きな愛情に、ちょうど親鳥の羽の下にいるひな鳥のように(詩九一、四)おおわれる経験が必要なのです。
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