連載АЩ阿弔離僖拭璽
2006.12.06 Wednesday 17:08
背伸びと息切れの時代・第7回
 「三つのパターン」

 前回、人が顔色うかがいをする生き方を取り上げました。そこには、心の奥底で「他人から拒否されるのではないかという不安」と必死に戦っている姿であると説明しました。
 こうした生き方というは、自分の内面を見せないことが特徴ですから、「拒否される不安」と戦って困惑している姿なぞ、絶対に人には見せません。ですから、この心の戦いを経験したことのない人からすると、常識ではとらえずらく、非常にわかりにく生き方だと思います。
 そこで、私が日ごろ感じている「顔色うかがい」の生き方について、もう少し具体的な姿をいくつかのパターンにして大ざっぱにまとめてみたいと思います。

■ 献身パターン
「顔色うかがい」をする人たちは、とにかく自分を必要としてくれる誰かを求めています。それも想像を絶する凄まじさで求めています。自分のありのままを出したら周囲は自分を絶対に受け入れてくれないだろうという確信に基づいて生活しています。そのため、ふつうの人間関係では、ささいなことにも自分の弱さ、駄目さを刺激されやすく、つらくて仕方がありません。そこで自分が明らかに優位に立てる人に結びつこうとします。たとえば、真面目な女性がチンピラばかりに恋をする場合などはそうです。こうした人間関係は、尽くす側から見れば、「こんな人だからこそ私が必要だ」という感覚を強烈に味わえますので、自尊感情を潤わせることが容易にできます。そして自分の弱さ、駄目さを刺激されることはほとんどありません。「割れ鍋に閉じ蓋」カップルです。
かつて私は天涯孤独な青年を面接したことがありました。彼は、街頭で新興宗教の若い女性から勧誘を受け、集会所についていきました。そこでは若い女性を中心とした若者との会食の席が待っていました。彼はすっかりその楽しさに魅せられてしまったのでした。なんと翌日には数十万円もの寄付まで払いました。それ以後も、ことあるごとに、強要されたわけでもないのに、なけなしの金を払い続けました。彼にはその寄付の意味もその宗教の教義もまったく関心がありませんでした。集会に五、六回行ったころでしょうか、金がほんとうになくなり、寄付をしたくてもできなくなりました。すると彼は急に気が引けて行きづらくなり、ぱったりと連絡を絶ったのでした。彼は、自分が布教対象者であり、寄付できる金があればこそ、相手に対して自分が価値のある存在だと安心して思えるのですが、それらが少しでも揺らぐととたんに逃げ腰になってしまうのです。

■ 敵前逃亡パターン
 次ぎに、彼らは、相手に拒否される前に、自分から先手を打って関係を切ろうとすることがあります。もたもたしていて相手に完全に拒否されて立ち直れないほどの痛手を負うより、自分から関係を切って拒否されるほうが、まだ絶えられるというわけなのです。それほど相手から拒否されることを恐れているのです。
たとえば、仕事をささいなきっかけで辞めてしまう青年がいます。大きな失敗をして辞めることになるよりは、小さな失敗で早めに辞めてしまうことのほうが安心なのです。恋愛でも、熱烈な雰囲気の関係がピークになると感じると、自分がふられることを妄想的に恐れて、自分のほうから別れ話を切り出す少女がいます。さらに自分のことを知られて相手に嫌われるよりも、自分の印象の良いうちに別れたほうが救いがある、という理屈なのです。別れた直後は失恋の痛みに苦しみますが、相手からふられるよりは苦しみが少ないととらえているのです。
 
■ 自棄パターン
 もう一つ。彼らは拒否されても傷つかない自分のなろうとすることがあります。言葉を換えれば、孤独に生きていくことに平気な人になろうとしています。悪の自分、一匹狼の自分が本来の自分なのだといった否定的な生き方を形作っていくわけです。だから人に援助を求め、相談しようとする意識が非常に希薄になります。ヤクザやヤクザ的生き方に憧れる人のなかにはけっこうそういう人たちがいます。「どうせ大人はずるい、社会は信用できない」といった偏屈な態度をとる若者のなかにも、自分が傷つかない防御壁になっている場合があるのです。

さて、ひとつひとつの姿は悲しいくらいに不自然で不幸な生き方に見えます。しかし、どれもこれも本人からすれば適応的な人生に向けた必死なやりくりの結果なのです。もしその必死なやりくりを急に止めたら、どうなるでしょうか。孤独で情けない現実に直面して、落ち込み、生きる気力が沸いてこなくなったり、顔面蒼白になって泣き出したりするかもしれません。くれぐれも彼らのペースでゆっくりと現実に直面させていくしかないのです。
 そもそも、彼らの不安というのはいわれのないものではありません。私たちは、自分の本当の姿を見つめるとき、実は、自分が価値のない、ちっぽけな存在であり、自己中心にしか考えられない醜い存在であることを認めざるをえないのではないでしょうか。そして神様がこのような人間に、救いと計画を用意していることに、驚嘆するのではないでしょうか。小手先でごまかしたり、逃げ回るのではなく、そのことをきちんと受けとめ、悔い改めるとき、私たちは本当の自信を得ることができるのです。

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