連載:権威と枠組み
2006.12.06 Wednesday 21:33
背伸びと息切れの時代・第11話
「権威と枠組み」

■ 少年鑑別所の非行少年
 かつて私が少年鑑別所に勤務していたころ、多くの方からよく質問を受けました。それは、反抗的で乱暴な非行少年たちと関わることに苦労が多いのではないかというものです。もちろんそうした少年もいないわけではありませんが、それは例外的だと思います。実際、多くの少年たちは施設に収容されると数日でおとなしくなっていきます。その変貌は劇的なほどです。荒れ狂った顔から、素直で幼い顔に変わっていきます。けっして施設側が厳しい圧力をかけるわけではないのです。ただし、施設生活の背後には、法的に身柄を拘束しているという厳とした枠組みがあります。また、非行については、法を犯したという言い逃れられない現実があります。禁止されていることを勝手に行えば、職員から言葉で必ず厳しく責められます。少なくとも、譲れないことは決して譲らないという職員の気概が強くがあります。そうした事柄が彼らに大きな影響を与えていくのです。
 カウンセリングでは「受容」と「対決」という二つの大切な要素があります。愛情と権威と言い換えてもよいと思います。少年鑑別所などでの指導や面接は、いわば受容しながらも、譲れない枠組みは決して譲らないという「対決」の要素が息づいているのです。少年たちからすると、踏み越えられない枠が有形無形にあるような感じを抱いているのだと思います。(ちなみに、聖書では「(子への)懲らしめ」(箴言一九:一八など)が奨励されていますが、それはこの「対決」要素を強調したものであると思います。)
 こうした環境の中で、非行少年たちの気持ちがかえって安定し、いきがりやおちゃらけが和らいでいくのです。こうした変化はけっして猫かぶりのような意図的なものではありません。もう少し深い心の次元で起こっている現象だと思います。いわば物理的にも心理的にもまた社会(法律)的にも枠組みができたことで、無秩序で放逸に動き回っていた彼らに足場が与えられ、集中力と安心感が回復する過程であるのです。言いわけし、他罰的に言いつくろう余地がなくなり、動き回ることを断念し、立ち止まる経験をし始めるのです。
 もっとも、少年鑑別所を出て親許に帰っていく場合に、権威と枠組みをうまく設定できないと、比較的短期間に再びかつての無秩序で放逸な生活に戻っていく場合も少なくありません。やはりここにも同じ事情があるように思えます。

■ 親としての枠組みを
それでは、法律や司法機関とは無縁の場合に、私たちはどのように権威と枠組みを意識し、用いればよいのでしょうか。
 まず、日常的に彼らと接する親や教師によって枠組みが強調されることが第一歩になります。ここでは親の場合について考えてみましょう。
 まず両親が話し合い、親として譲れない限界を設定します。子どもに対する改善要求はたくさんあるかもしれません。しかし、ここでは、一つか二つの絶対に譲れない線を引きます。たとえば、喫煙、粗野な言葉遣い、髪の脱色、夜遊び、寝坊、学校さぼり、喧嘩、携帯電話代の支払い、奔放な異性交遊など、二〇以上の早急に改善させたいものがあるとしても、その中で最優先事項は何かを親として考えておくことが重要です。あるご両親は話し合いの末、最終的に、法律に違反する行為と、朝帰りについて、譲らない枠とすることにしました。また、両親が決めた限界線についてあらかじめ両親から子どもに説明する機会も持ちました。そして、それまで、家庭での指導の八〇%以上が、自宅での喫煙と親への粗野な言葉遣いについて、母親がその都度、しかりつけることに使われていたのですが、それ以後は、限界線については父親も一緒に警告や叱責を行い、ほかのことについては逆に許容することになりました。すぐに影響が現れたわけではありませんでしたが、このご家庭では、指導の土俵作りができ、それまで親自身もなにが起きているのかわからなくなるくらいの混乱した喧噪状態を脱することができました。
 
■ 自分を超えたものへの感性
 しかし、譲れない枠組みを意識する・させるというのは、テクニックではありません。大人である私たちが、なせばなる、時には自分の都合で多少の枠は外れてもかまわない、などと考えて生きていると、本当の権威を意識することができません。そうなると、ついつい自分自身が権威者となって相手を押さえ込むことばかりに気が向いてしまいます。枠組みの背後にはその人をも支配するような権威が必要になるのです。すなわち、日頃の生活の中で、自分たち人間がいかにちっぽけな存在かを感じ、そして人の力を超えた偉大な存在の力を謙虚に感じているかどうかが本当は大切なことなのです。
 大自然の威光。魂の世界の深淵さ。芸術の力。他者とのつながりの中で味わう深い感動。過去にあった自分の大きな精神的体験。心の内にいつのまにか芽生えてくる思いやりや奉仕の心、信じる心。そして本来それらの基盤を支えている、生ける神への思い。人により、チャンネルはいろいろありますが、こうした「自分を超えたもの」への感性が、私たちに、権威と枠組みを与えてくれるのです。
 非行ではありませんが、アルコール依存者のグループ療法の有名な運動では、一二のステップの成長プロセスを想定しています。その第一ステップでは、自分の力を超えた偉大な存在に身を委ねることが強調されています。これは非行にもあてはまるものです。


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