さらに、焚き火を囲んで(舟の右側vol.27を読む)
2016.03.19 Saturday 22:19


(2)焚き火仲間、炎上仲間

大頭先生の用意した焚き火。そこに物語(ナラティブ)の世界を求めていろいろな人が集まってくる。
焚き火仲間の誕生である。物語が生まれ、また書き換えられるためには、ちょうど焚き火を囲むように、仲間と語り合うことが大きな影響を持つ。

さて、炎上仲間という言葉も、登場する。炎上とは、ネット上のある主張などに大量の反論コメントが集中し、時にパンクして動かなくなる混乱状態の比喩である。さらに炎上仲間というと、主流勢力から糾弾されかねない少数集団というニュアンスを感じる。

私は、炎上仲間という言葉を理解するのに一瞬時間がかかった。
そうか、神学では、物語論は少数集団なのだ。それもけしからんと糾弾されかねない、はみ出しモノなのだ。

しかし、いったん神学を離れ、牧会の現場に視点を移動させれば、そこでは、必ず物語り的な人間理解と援助が行われている。
それは皮肉なことに、神学の土俵で、糾弾している側の人たちも、同じである。
神学では、アンチ物語派と、物語派に分かれていても、実践では、みな物語(ナラティブ)の世界に住んでいる。

そもそも啓蒙主義が台頭し、科学の知が重視されてきた長い歴史がある。しかしそこには限界があった。そこで臨床の知、魂の知が登場し、科学の知を補った。科学の知とは、客観主義、論理主義、普遍主義。臨床(魂)の知とは、相互作用性、多義性、個別性。
前者は精緻な法則や体系ができあがる。後者はみずみずしい物語が生まれる。両者は車の両輪である。

2005年に「牧会ジャーナル」で、説教に目覚めるという特集シリーズを組んだとき、フジモト氏は物語論を述べた。私は説教の末尾表現に注目し、その時々の説教者の疲労度が測定できるとし、フジカケの法則と名付けた。ずいぶんふざけた印象を与えたが、私はいたって真面目で、臨床の知の「相互作用性」から論を興そうとしたのだった。

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