闘病記を書く、闘病記を読む
2020.01.06 Monday 23:04

 

闘病記を書く、闘病記を読む

 

今日は、2020年度のシラバス(授業計画など)を書いた。大学院の「臨床死生学」科目のシラバスを書いているとき、闘病記にまつわる授業を用意していた時期があったなと思い返した。
中村佐知さんの看病記を最近読んだことも影響しているのかもしれない。しばらく闘病記、看病記の世界に浸った。(中村さんの看病記についての感想は稿を新たにかきたいと思う)

 

闘病記というのは存在感がある。
今私はかなり昔に書かれた信仰者の闘病記を二冊持っている。
他の書籍同様処分をしようと思うのだが、どうもそれができない。
闘病記には独特の存在感があり、読者を揺さぶり、心の深みへと導いてくれる力がある。
だから簡単には捨てられない。

綿々と闘病記は書かれているが、その多様な世界に接する際に、私が着眼していることについて書き留めておきたいと思う。
そして、昔と今とでは微妙に闘病記に描かれる世界が違うように思う。
最近の闘病記の特別な性質のようなものについてもあわせて書き留めておきたい。

 

(1)闘病記か看病記か。
患者として自分の余命を懸命に生きる姿と、
家族や友人として大切な人を失うかもしれないという思いに直面していく姿とは、
かなり違う世界である。前者は極限の生を見つめ、後者は極限の死を見つめているように思える。看病記は実は物語の序章にすぎず、その後に(発表されるかどうかは別にして)グリーフワークの追悼記が続くのである。

 

(2)現在進行形か、過去形か。
昔の書籍化された闘病記(や看病記)は基本過去形であった。
現在進行形のように回顧するとしても、本質は過去形であった。
過去形は、教訓や解釈がきれいにまとめられる傾向にあり、著者の思いが説得力をもって伝わってくる。
一方で現在進行形は、これからこうなるかもしれないし、こうならないかもしれないという揺れや雑念が激しく混入してくる。そしてそれはどれもこれも真実な心の叫びになっている。奇跡的に治癒してほしいという思いも、医学的に病状を冷静に把握することも、同時に進んでいく。二律背反の世界だ。
そしてブログなどの普及により現在進行形の闘病記の時代がやってきたのである。揺れや雑念があればあるほど作者の叫びの真実が際立ってくる。

 

(3)医療者の判断か、患者の判断か
医療自体も、患者としての主体性が求められる時代になった。告知なども定着し、治療の選択肢も患者や看病者が個性を発揮し、選ぶ余地が増大した。自らの応答を示さなくてはならなくなったことで、大変な判断をすることになったし、闘病記も看病記も個々に応じて、かなり多様化した。

 

もしかしたら続く。

 

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2020.02.17 Monday 23:04
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