対談本「心の井戸を深く掘る」に寄せられた感想の感想
2020.01.11 Saturday 17:22

<おふ受賞会場にて>

 

 

「心の井戸を深く掘る」という対談本について、多くの感想をいただいた。
ここではいただいた感想に対する感想を述べてみようと思う。

 

(1)あるご婦人が、「この本は難しい」と述べられた。

おそらく「難しい」というよりも「すっきりせず、もやもやする」「読みにくさがある」ということだろうと思う。対談の内容が論理的、客観的、普遍的でなく、教科書のように、あるいは良質な解説書のように読むと、期待を裏切られた気がする人もいるだろう。

 

(2)ある人たちは、「この対談本は、繰り返し読む」と述べられた。

あるときは、発言のおもしろい指摘に、うなづくが、しかし理論的体系的にまとまらないために、もう一回読むことになる。
またあるときは、三人の発言が意外なほどマイペースで、論理的に絡んでいないと感じ、
そこで、もう一回読むことになる。
さらにあるときは、三人が同じ空気の居心地の良い世界に身を置き、共有しているところが面白いと思う。そして読者が四人目の座談者としてその同じ世界に身を置く。そうなるとこの本を最初に読もうと思った目的と違ってくるように思え、また読んでみることになる。
いずれにしろ、読み直していただくというのはありがたいと思う。
もっとも私が一人で書く文章はそうはいかない。
30代、40代のころに一度ずつ、プロの編集者(教育雑誌、心理図書)から同じ指導を受けたことがある。「文章が読みやすい。書いてあることがわかりやすい。それはそれでいいかもしれないが致命的な欠点がある。それは多くの人が二度読もうと思わないことだ。」と。


(3)久保木先生からは、いろいろな事情をひととおり見渡したうえで、司会の問いかけに対談者が対応していない点について、述べられた。

「最終章になって書くのもなんですが、実はこの本、質問を出し編集している谷口さんの質問、問題意識が結構鋭いのです。で、坂野先生と藤掛先生に生意気なことを言うようで大変申し訳ないのですが、谷口さんの質問がお二人のしゃべる契機にはなっているものの、とりわけ最終章は、谷口さんの根底にある問題意識に対しての答えになっているのかなぁという思いがしています。」と端的に指摘していただいた。申し訳ないどころか大変ありがたい。

実は私は、久保木先生の文章を読むまでは、そのことに気がつかなかった(苦笑)。そもそも谷口さんが司会ということにもある時期まで気がつかなかった。「司会」というと語弊があるが、「司会のようなもの」を務めているのは私だと思っていたからだ。その証拠に、対談のはじめの部分(11p)も、終わりのしめ(175pくらいから)もいかにもそういう役割を果たすべく私が発言していることがわかる。
今は、久保木先生の文章を読んだおかげで,司会者が問いかけて,それに即応していない対談者という見方は理解できるし、同様の趣旨の感想を他の方からもいただいたのでわかるのであるが、それまではあまり考えなかった。

また問いかけに対してリニアに回答することは、あまり眼中になく、問いかけに答えるというより、問いかけによりくすぐられたものを表現するといった感じであった。もっとも久保木先生は、そうしたこともお見通しで「しゃべる契機にはなっているものの」と触れている。まとめようというより、自分のあるものを引き出してもらおうという受動性が高まっていたのだと思う。

あらかじめ仮説や体系があるわけでないため、対談を重ねるにつれ、話題が広がっていった。谷口さんが全部の対談を終えたとき、「毎回、新しいことが語られ、同じ話が繰り返えされなかった。驚きました。」と。考えてみると、谷口さんは回を重ねるたびに、能動性を高めていったのではないかと、そのご苦労とセンスを思う。最終章は、プロ野球のトライアウトのように、記事に使われるか、テープに起こされたままで終わるか、話のネタたちがギリギリのアピールをしている。そこでの谷口さんの采配も見事である。

 

(4)坂野牧師ファンの人たちからは、さらなる坂野本を企画できないかと問いかけられる。

それはいろいろある。1番読んでみたいのは、説教を牧会の中心としてとらえ、牧会の一部としての説教のあり方について、ざっくばらんにうかがってみたい。本質的な事柄だけでなく、ハウツーのようなものまで、とことん。たぶん、こうしたテーマで、お話しはされていると思う。そうした講義を起こすことで、実現可能性はあるように思うのだが。

 

(5)雑感

この対談本は、スリッパ拭きの比喩で始めた。
掃除の参加者は椅子に座って円座を作っていた。
しかし、その円座は適度にゆがむことでちょうど良い人数が参加できていた。
特別に参加者が多いときにも、特別にゆがむことで参加できてしまう。
座った私からすると円座がゆがんだ分だけ、正対できず、こちらからすると、ある人は横顔しかみえず、ある人は後ろ頭だけ見える。全体で話すことも、ここかしこで小さい部分で話すこともある。しかし語らいはときめくほど楽しい。

進行役はいなかった。あえていえば多くの人が適度に自分が進行役だと思いながら、
座っていたように思うのである。

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