牧師転落死事件から学べること(1)
2007.06.12 Tuesday 12:13
今週(6月17日号)から、クリスチャン新聞4回連載「牧師転落死事件から学べること」がはじまる。
第1回記事をここに掲載する。(第1回は、特にこのブログですでに書いてきたものと重複するのですが)


昨年、牧師が転落死亡した事件があった。その後、殺人および覚醒剤取締法違反事件として立件された。特殊な事件ではあるとが、そこには我々への教訓も含まれている。本稿では数回にわたり、心理カウンセラーの立場からこの事件を振り返り、何が起き、何が問題となったのかを考察したい。
1.回復者の恵みと落とし穴
 当該牧師(以下、M氏)は、十代のころシンナーへの耽溺がひどく、それがキリスト教入信のきっかけになったという。そして伝道者としての華々しい活動を経て、50代の昨年、覚醒剤乱用の果てに悲惨な結末を迎えた。私は、彼が神に取り扱われ、その賜物を活かしながら、ユニークな働きを続けてきたことを思う。しかし、最後の最後で大きな罪を犯し、凄惨な落とし穴に陥ったことも厳粛な事実である。花
「依存」とも、「嗜癖」「耽溺」とも呼ばれる病理がある。薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存、暴力や特定の問題行動への依存などがそれにあたる。こうした人たちは、実は「純粋」、「前向き」、「上昇志向的」な生き方を強力に身につけている人たちである。裏返せば、地に足が着いていない、自分の限界・弱さについての認識が甘い、周囲の評価を気にするなどの特徴にもなる。そして、そうした生き方は現実生活では必ず息切れし、破綻する。だから、幻想的な領域で、成功や愛情を求めるようになる。ギャンブルであれば、ギャンブルで勝つことで、幻想的な冒険や社会的成功を味わおうとするのである。これが依存症者の心理である。
 このような依存状態から、クリスチャンになった人たちは、実に鮮やかに生き方を変える。魅力的なオーラを発散する。傷ついた他の人たちに慰めと勇気づけの言葉を掛けられる。また、神もこういう人たちを祝福し、大きく用いられる。回復者の恵みである。
 しかし、ここからが大事なことだ。依存症からの回復者は、実は完治しない。一歩一歩、一日一日、自分の依存が再燃しないよう自分の弱さを直視しながら生きていくほかないのである。アルコール依存であれば、二十年飲まずに来たが、また一滴でも飲めばすぐに昔の地獄に戻るのだという自覚があるかどうかということである。本人が自分は治ったと考えてしまうと、何らかのきっかけで依存行為に逆戻りし、大きな落とし穴に陥っていくことになる。
 M氏もまた回復者であった。そしてより破壊的に薬物依存を再燃させてしまった。私たちは回復者の活躍には拍手を送り、神の恵みに感謝を捧げたい。しかし、いたずらに英雄視せず、彼らの内なる弱さに敏感であらねばならないと思う。献身者を送り出す教会、神学校、そしてメディアを始めとするキリスト教界、それぞれがそうした慎重さを持たねばならない。そして回復者が再度落とし穴に陥っても彼らの心の深い傷を思い更なる回復に手を貸さねばならないと思うのである。

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