牧師転落死事件から学べること(2)
2007.06.18 Monday 19:02
クリスチャン新聞4回連載「牧師転落死事件から学べること」の第2回。

2.「型破り」と居直りの諸相

M氏は、伝道者として身を粉にして働いていた。新しいスタイルの伝道イベントや独自の活動に積極的に関わり、そればかりでなく、その方法、言葉遣い、服装、その他の個性も加わり、「型破り」牧師と評価されていた。
 本来「型破り」指導者の真価とは、「型」から外れるように見えるが、実は純粋に本質的なものを求め、極めようとすることである。そして、世俗的な妥協をせず、旧弊を打破するため、真の改革者になり得る場合がある。赤りんご
 
しかし、「型破り」ではあっても、真の改革者とは異なる場合もある。また最初は真の改革者であっても途中から逸れてしまうこともある。真の改革者とそうでない場合の分岐点はどこにあるのであろうか。それは自分の弱さをいかに受け入れているかによるのだと思う。
 自分の弱さを十分に受け入れ、信仰をもって型を破ることのできる指導者は、その都度、現実を見、それを信仰によって肯定的に受けとめ、そこに神から与えられようとしている意味を見いだそうとする。その過程で、迷ったり、立ち止まったり、振り返ったりするのであるが、そうした迷う自分も受け入れるし、そうした自分を人に見せることも出来る。
また、崩れた生き方や常識外れの生き方に接しても、それもありだ、といったん受けとめることができる。そして受けとめはするが、そうした人と適切な距離もとり、そうした人の現実も見ることが出来るので、本質は冷静なのである。またいろいろな経験をしながら成長していく力も持っている。こうした「型破り」牧師や指導者は現に存在している。
しかし、自分の弱さを受け入れられないままに「型破り」スタイルを見せる人は、自分の弱さを打ち消そうとするために、「居直った」対応をしてしまう。一見、改革者の「型やぶり」と、自分の弱さを否定するための「居直り」は似ている。しかし、本質は対照的である。
 居直って、自分の現状を誇示して、「それでも信仰やれるよ」というメッセージはわかりやすいし、そうしたユニークさは、幻想ながら一種の強さを当人が味わえるが、それでは、積み重ねていくもの、成長していくもの、きよめられていくものが乏しくなる。本人も迷えず、立ち止まれない。
M氏にはいつからか、この「居直り」の要素が入ってしまったように思う。迷うことを受けとめられず、迷ってしまったら前に進めない感覚があったように思えるのである。常識論や権威に耳を貸さず、自らのユニークさを守る姿は、過渡期的なものとしては意味があるが、それを続けることはあまりにも孤独でバランスを保つのが難しいものであったに違いない。
                   ◆
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2007/06/21 8:42 AM posted by: ふじかけ
お読み頂き、ありがとうございます。
2007/06/19 10:37 AM posted by: 花鳥風月
然り。
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