牧師転落死事件から学べること(3)
2007.06.22 Friday 14:12
クスチャン新聞4回連載「牧師転落死事件から学べること」の第3回。

【献身者の孤独に配慮を】

3.人生後半戦に起きること
 人生の後半戦に入ると、誰もが「死と老化」をつきつけられ、質的な大転換を迫られる。自分の生き方を変えていくことが問われるのである。ちょうど、剛速球投手がベテランになるに従い、巧みな変化球投手に移行するかのごとくである。それができないと、人生の後半戦で失速したり、脱線したりすることになる。花
 M氏の型破りスタイルは、若者時代(前半戦)の生き方の魅力に溢れていたとも言える。しかし、無理もあった。若者時代と同質のユニークさを、人生の後半戦でそのまま発揮し続けることは難しくなるからだ。
 純粋さや挑戦心、体力や気合いで勝負し、批判心を加速させていく青年時代の信仰と生き方がそのままでは通用しなくなったとき、すなわち後半戦に向かうとき、私たちは自分の人生の位置を受けとめ、自分の弱さと限界を悟り、若い頃とは違ったスタイルを、信仰をもって再創造していくのである。

4.孤独と喪失体験
 一般に牧師をはじめ指導者は孤独な状況に置かれている。これに追い打ちをかけるのが喪失の体験である。大切な人と死別したり、別れたり、仕事を変更させられたり、失ったり、こうした体験は身も心も魂も揺さぶられるダメージとなりやすい。こうした中、サポーターあるいは真の友人を本当は必要とするのであるが、実際には、配偶者がそうした役割を担うことでバランスを取っている場合が多いように思う。
M氏についてみると、やはり孤独な状況があったように思うし、配偶者サポートも機能しづらい状況にあり、種々の喪失体験も追い打ちをかけていたように思う。そして、病気により自分の命を失うだろう現実にも迫られてしまったのであった。
私たちは、牧師や伝道者の孤独について鈍感になってはいないだろうか。彼らの素顔の交わりの機会をどのくらい大切に扱い、配慮しているだろうか。そして、別れの悲しみに傷つく彼らをどのくらい配慮しているだろうか。

5.余命
彼は、余命宣告後、信仰詩作に常ならぬ情熱を傾けていたという。自分が後生に残せるものにこだわったのかもしれない。しかし、(推測を交えることになるが)そうした中で、眠らずに、体調不調感も消える状態で、残された時間を精一杯使おうとして薬物に手を出したのだとしたら、あまりにも歪んだ判断と言わざるを得ない。余命への「欲」のようなものに足をすくわれたとも言えるが、それ以上に、詩作により自らの悲嘆ケアをしていた面があり、それを突出させざるを得なかったところに悲劇を感じる。
私たちは、牧師や伝道者が自らの死に臨むとき、彼らにじっくりと寄り添うことができているだろうか。寄り添う人がいなければ、いくら牧師・伝道者といえども、簡単な問題ではない。今、そうしたことが私たちに問われているのだと思う。
(つづく)

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