誰が、何を、カウンセラーに相談するか
2007.11.06 Tuesday 22:15
 今回の「牧師のSOSと危機対応」では活発な質疑応答があった。精神医学や臨床心理の専門家との連携という話題も登った。その際、時間があれば発言しようと思ったことを(実際には発言しなかった)、ここで補足発言したい。

 「誰が、何を、カウンセラーに相談するか」が大切だ。
 第一に「誰が」相談するのか。
 それは、問題と感じている人が相談すべきである。当の本人ではなく、問題と感じている人が、である。
 もみじ
よくあるのは、困っている人や問題を起こしている人自身ではなく、その周辺にいる人が見るに見かねてなんとかしようと思う。そして、身近なカウンセラーやそれっぽい人に相談する。このパターンは大変多い。このやり方は頓挫する。まず当の困っている本人が、相談しようという意欲を持っていないことが多いので、カウンセラーのもとに来ない。あるいは消極的に1度だけ「顔を出す」ことで終わる。
 もっと悪いパターンは、「なんとかしようと」思った人が、カウンセラーに相談し、その際のカウンセラーの言葉をそのまま当の本人に伝え、その本人の反応をまたカウンセラーに伝えて、いわばパイプ役を担ってしまうことだ。たとえば、電話で知人の牧師から信徒が直面し始めた問題について、緊急の相談を私が受ける。私は、その牧師に簡単なアドバイスをする。すると「そう、伝えておきます」と言われてしまうことがある。これは混乱を広げるばかりだ。
 問題と感じている人が相談する。牧師であったり、教師であったり、知人であったり、最近かかわりを持ち始めたばかりに過ぎなかったり・・・。それでも、カウンセラーを使いたいくらいに問題と感じているなら、その人が相談するしかないのである。その場合「コンサルテーション」ということになる。指導者・援助者に対してカウンセラーが助言を行うことだ。

 第二に、「何を」相談するのか。
 問題を抱えていても、心理相談を求めているとはかぎらない。霊的ケアを求めて、牧師や神父の宗教的助言をほしいのかもしれない。法的支援を求めて、弁護士の助言をほしいのかもしれない。
 たとえ、重い統合失調症で、思考の障害があったとしても、必ずしも精神医療だけが必要なのではない。魂への配慮、霊的な指導もまた必要なのである。
 だから、一見、心理や精神医療の専門家が必要な相談が牧師にあったとしても、すぐにバトンを渡すべきではない。まず相談にきた人が、何を(すなわち心理的な側面から解決したいのか、霊的な側面から解決したいのか)相談したいのかを洞察しなければならない。
 そしてバトンを渡しても良いが、霊的指導者としてのかかわりは続く。かかわりは同時並行すると考えるべきである。
 変な話だが、私の相談室に信徒の方が来られるが、牧師の紹介ケースは続かない。信徒が信徒に紹介したケースは続く。なぜならば、牧師紹介ケースの多くは、その人がまず牧師に相談に行ったということが大切なことである。それは、まず牧師に霊的な側面からの取り扱いを求めたと考えられるからである。世俗のカウンセラーに回されることには抵抗があることが多いのである。一方で、信徒に相談した人は、はなから牧師でなく信徒を選んでいる。そこには最初から霊的でない解決を志向しているのである。だから世俗のカウンセラーの援助は希望通りなのである。
 さらに変な話だが、こういうことも起こる。
 牧師が心理相談室に信徒を紹介したところ、信徒が1度相談室に行き、こう牧師に報告する。「カウンセラーは次回は来る必要がないようなことを言ってました」と。牧師は大いに失望する。「このような深刻な事態なのに、何たることか!」と。
 ここにも先の問題と同じようなことが存在している。その信徒は牧師に相談はしたいが、心理相談室には通い続けたくないのだ。カウンセラーは、継続的に来なさいと命令することはまずない。次回予約を薦めても、強制しない。また、本人の許可がなければ、面接内容を、たとえ紹介者の牧師にも伝えることはない。だから、こうした問題が生じてしまうのである。
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2020.09.15 Tuesday 22:15
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Comment
2007/11/09 1:42 AM posted by: ふじかけ
のぶお様

真摯なご意見、ありがとうございます。

ご指摘のあった、
「キリスト者として心理的ケアを語っている、
つまり、霊的ケアの一面も担いながら」というのは、
私自身も目指そうとしているものです。

さて、今回の「牧師のSOSと危機対応」ですが、
講演内容等が、ブックレットとして、発行されるようです。
そのときはまたこのブログでも宣伝することにします。

また、来週くらいに、クリスチャン新聞、リバイバル新聞に記事として掲載されると思います。
2007/11/06 11:48 PM posted by: のぶお
興味深く読ませていただきました。
読んで感じたのは、
霊的ケアに自信を失った牧師が
心理的ケアに委託しようとしている現実がある、
ということです。

話は変わりますが、
わたしが
ふじかけ先生のブログを閲覧するのは
このブログで単なるセキュラーな心理的ケアが語られるのではなく、
キリスト者として心理的ケアを語っている、
つまり、霊的ケアの一面も担いながら
心理的ケアについて取り組んでいるという
期待感があるからだと思います。

キリスト教系のマスコミに
ふじかけ先生の文章が出るのもそういった面での
期待感があるからではないかと思うのです。

それはある意味、キリスト教界の中で
霊的なケアだけでは不充分だというような機運があるから
ではないでしょうか。

ただ、牧師自身、聖書を釈義して説教は語れても
個々人の悩みについて対応する訓練はほとんどされていませんから
個々人に対しての霊的ケアということをどうしたらいいのか
わかっていないケースが多いのではないかと思います。
その意味では、牧師自身、自分がどう霊的ケアをしていいかもわからないので、
心理的ケアのほうへ委託したくなっている現実も
あるように思います。

牧師が個々人の霊的ケアに関して、
訓練を受け、成熟できると共に、
心理的ケアなどの他のケアとどう連携していけるか、
そういう学びが現代のキリスト教界には必要なのかもしれません。
というか、そういう学びが今回、されたということなのでしょうか。
関東近辺に住んでいない者にとっても、
今回の「牧師のSOSと危機対応」の学びが共有できれば
幸いだなと思います。

ともかく
牧師が霊的ケアに自信をもっていなければ
これからのキリスト教界はますます低迷していく一方のように
思います。
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