まだ完成したわけでないし、内容はまだ洩らせない。出版時期も未定。
そして、使われるかどうかわからないが、帯のコピーを考える。
至福のひととき。
最終講義がはじまるよ
藤掛先生の最終講義
…うん、最終かあ?
まだまだ書きたいものあるが、
体力の点からも、これが最終ということはありえる
うーむ
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語らいのための知恵を学ぶ
〜信仰の12ステップの実践を通して〜
人は、自分自身について話せる場を探しています。そして語り合います。「自助グループ」と呼ばれる
グループもまさにそのようなグループです。アドバイスや解釈をしないで、「言いっぱなし、聞きっぱ
なし」の交流を行うのです。ここにはどのような独自のルールがあるのでしょうか。今回は、信仰者の
ための自助グループ【信仰の 12 ステップ】の事務局長をされている松下景子先生に講演をいただきま
す。また午後のひとときには、ウォーミングアップとしてのコラージュの実演をしていただきます。
2024年2月5日(月)
10時30分から16時
聖学院大学1号館 1カフェ
講演者 松下景子 (信仰の12ステップ事務局長)
応答者 花野井百合子
進行 藤掛明
対象者 牧師、教職者、牧師の家族
参加費 3,000円 (昼食弁当代を含む)
申込み締め切り日 2月1日
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私は、描画テストやコラージュの超入門としてブログに連載記事を企画したのであるが、
見事に三日坊主で挫折した。
同じ時期、リバイバル新聞(現在の「舟の右側」)に、「グループ&カウンセリングの勘所」の対談連載を始めている。
2007年2月のことだ。対談相手は、尾山清仁牧師。第1回の小見出しは、「まとめず仕切らず「多義性」で」
私の主張はあいかわらず同じである
私はいつもアイデアを思いつき、構想を練り、人前で話す。
あるいは文章にする。
しかし、それは続かないことが多い。
そこであるものについては、連載をしたり対談をしたりして、形に残す。
この超入門の記事を書いた2007年ころは、そうしたスタイルが生まれつつあったころだった。
ブログを開設したのが、2006年12月というのも偶然ではない。
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そして、3年目にはいった谷口基子さんのエッセイが巻頭になった。
さながらオフィスを訪ねたところ、入り口で迎えてくれる花のようである。
オフィスの訪問者はそれぞれお目当ての訪問先がある。すべてくまなく顔を出すことはない。
しかし、入り口の花の前は通っていくし、時には花の香りに足を止めたりするのである。
さて今回のエッセイは「定位置」。これはアートセラピーの世界にも大事なことであると思う。
なぜなら、実際の生活で起きていることは、画用紙の上でも起きるし、
また画用紙の上で起きることは実際の生活でも起きるからである。
http://fujikake.jugem.jp/?eid=256
http://fujikake.jugem.jp/?eid=260
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昨春、5年単位の臨床心理士の資格更新をしました。
5年後を目指して、縮小・引退をしていくかの感覚です。
山頂を目指す旅の途中。
次なる世代に触れながら…。
2024年
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年頭にコラージュを作りましたが、ブログに反映できませんでしたので、
いったん引っ込めます。
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(1)舟の右側
創世記のヤコブの生涯に学ぶ
鼎談;坂野慧吉(牧師)、谷口和一郎(編集長)
*ヤコブの生涯をたどり、その三世代家族の物語を読み解く。
*2023年1月号から開始し、まだもう少し続きそうである。
*ありそうで、ない企画。
*「心の井戸を深く掘る」の続編。
(2)キリスト新聞
臨床心理士・藤掛明先生の
燃え尽きないためのメンタルヘルス
*寸言とその解説をもう60回くらい掲載している。
新聞側が許容してくれれば、100話まで連載したい。
*寸言は解説がない余韻が魅力。なのに解説をつけた。危険なかけ。
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せっかくの相手の顔をみることがない。
自分の表情は随分と平坦で病人の顔になっている。
そして致命的なのは、話すのがうまくいかず、言葉がもごもごし、小声になり、吃音になる。
ならば話すのではなく書くのを頑張れば良いと言われるが、書くのも苦慮する。
肉筆の字は自分でも読めない。キイボードは腕が疲弊する。
原稿は気の遠くなるほど時間がかかるのである。
10年以上になるが、難病の告知を受けたときは、一般論ながら、10年後
には寝たきりになることもあり得ると言われた。
しかし幸いなことに、細々とながら社会生活を続けている。
2本の連載を抱え、授業や講義をそこそここなしている。
今年は、⒉度の手術・入院のせいで、一年間を棒に振ったが、
それを思うとよくぞここまで一見普通に活動してきたと思う。
身近な人たちにアツく祈っていただいた。
主治医いわく
授業が抜群のリハビリになっていると。
たしかに、研究室に遊びに来てくれる人。
原稿を依頼してくれる人。
授業について、こういう資料をみせてほしいというリクエストをしてくれる人。
そういう人のおかげで、リハビリを受けているのだと思う。
今後も今のペースで社会生活を送りたいと願っている。
それには、多くの人からかまってもらい、リハビリに協力していただくことが必要である。
]]> ふたたび昨日。夕方からはミラノ賛美教会のクリスマス礼拝に、ZOOMで参加した。
礼拝では、ボッティチェッリによる 1500年の絵画『神秘の降誕(Mystic Nativity)』(ロンドン ナショナル ・ギャラリー収蔵)を解説する。説教者は内村牧師。ユニークである。伝道目的であるが、静かな雰囲気で、内省に導いてくれる。日頃言葉の世界にいきている私たちをイメージの世界に誘ってくれる。美術の深さも垣間見ることが出来る。
そして名画を使って、多義的に、未来志向的に、福音理解のために、縦横無尽に意味を味わうことは教会でのアートの
可能性を教えてくれるのものだと思わされた。題材となった「神秘の降誕」もよくよく見ると馬が中央に描かれている。一番冷静に全体を見渡しているようにも私には見えたのだ。
そうすると、イエスが馬小屋で生まれたのも、有馬記念がクリスマスの時期におこなわれることも意味あることに思えてくる。… (言い過ぎ‘)
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それは打者として投手として同時に機能させる方法である。
一年ごとに交互に打者・投手として起用するというものだ。
いかに超人であろうと、連戦で二刀流は無理がある。例えば24年のシーズンを打者に専念すれば、打撃の実績は間違いなく、もっと高い記録が残せるし、怪我になる確率も下がる。結果的にユニフォームを脱ぐ年齢も後になるのではないか。
ところが今秋、この脳天気な提言を根底から揺さぶることが起きた。
再度怪我をして、来年は投手としての働きはしないことが決定的となったのだ。
誰にも文句を言わせず、隔年二刀流をやってのけたのだった。
やはり天才というのは、あまり考えずに凄い動きをしてみせてくれる。
そして今後は、怪我をくり返し、結果的に隔年二刀流を無意識のうちに完成させるのだ。
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いよいよコラージュ勉強会の申し込みをはじめます。
期間は、2023年の下半期です。
定員に達しましたので応募は終わっています。
*日時
(1)第一グループ
23年度10月〜24年度2月。 第4の土曜日13時半〜16時
10/28。11/25。1/27。2/24。
特別プログラム 3/23。
(2)第二グループ
23年度11月〜24年度3月。 第2の土曜日13時半〜16時
11/11。1/13。2/10。3/9。
特別プログラム 3/23。
5回。定員5〜6人。 全回の参加費8,000円。
なおいったん支払った参加費は返却しません。
*参加資格
?藤掛のコラージュの講義、ワークショップを一コマでも受けたことのある人
?ZOOMで画面共有を自力でできる人
*なお、講師の藤掛には言葉の障害があります。
*内容
通常のコラージュ。DOコラージュなど。
災害とコラージュ
多重関係性。
なお、学術的、知識的な学びよりも、毎回コラージュを作ってそれを皆で
わかちあう臨床的な学びを重視します。
問いあわせ先、申し込み先
workshop.fujikake@gmail.com
なお、定員を上回る希望者が出た場合は申し込みを受け付けることができません。
このアドレスに希望を出して、申し込みができるかどうか、確認してください。
その上で振り込み先などの連絡をさせていただきます。
すでに上半期の勉強会に参加していた方には、別途別のルートでご連絡いたします。
件名 コラージュ勉強会の申仕込み(お名前)
定員に達した場合、ブログ記事にその旨赤字で記します。
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キリスト教月刊誌「舟の右側」の最新号(9月号)
特集は、牧師のメンタリング。
私は未だメンタリングのイメージがつかめないでいる。
しかし私の身近にいる信頼できる若き牧師・神学者らが熱心に学んでいることや、
その中から芽生えてきた学校創設の働きがすでに始まっていることは、
確かなことである。
クリスチャンライフ学院。
https://christianlife.jp/about/
同じメンタリングといっても、学術的にも、実践的な関わり方にも、
いろいろと種類があるのだろうな。
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おふぃす・ふじかけ賞が来年で10年を迎える。
スタッフの優秀さもあって、なかなか内容が充実してると思う。
はじめた背景には、平山正実先生のような信仰者の精神科医の著作が
もっと注目されるべきだという思いがあった。そもそも名称も「平山正実賞」であった。
同じように平山先生の名前を借りる構想はまだまだある。
平山先生の在りし日の生活ぶりを再現するものがあっていいのでないだろうか。そして、研究基地としての性質は
保つ。そう、博物館という発想だ。
第一コーナーは、末期の患者ながら、いのちを削って、最後の原稿を身近に置きながら必死に書こうとしている空間の再現。
第二コーナーは、キリストメディで撮影された最期の仕事ぶり。スクリーンで上映。
第三コーナーは、平山先生の書籍や原稿の閲覧コーナー。
第四コーナーは、喫茶スペース。
月2日開室(平日の午後)
どうであろう。
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私は知っています。
あなたが、いつも天を仰ぎ見ていることを。
あなたは東京での奉仕の帰り道、車を止め、
私が入院している病院の方向に向かって祈ってくださったことを。
あれから10年近くたちましたが、
私は残された者となってあなたを思い返しています。
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自分がすべてをするわけではないこと、
次の世代にまかされば良いということ。
たとえ自分の得意分野であっても、
特別に与えられた賜物であっても、
そうであると思うこと。
当たり前のことだが、随分と楽になる。
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