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いつのまにか
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2008.11.30 Sunday 21:21
あすから12月。いつのまにか秋から冬に。
(朝、教会向かう途中、近道の公園で撮影)
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牧会ジャーナル最新号(08年12月)発行
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2008.11.30 Sunday 21:10
牧会ジャーナル最新号(41号、冬)が発行された。
今回は「牧会者と安息」特集の第二弾。「女性牧会者の安息」。
「牧会塾」の構想について、開設ディレクターの森先生の記事もある。
不祥事関連リレー連載では、予防的な観点から「牧師の交わり会」についての記事もある。 -
事例研究会と、クリスマスツリー
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2008.11.29 Saturday 19:03
今日は、午後から、所属のカウンセリング研究センターの会議があった。
新年度からの牧会者支援のためのプログラムについて、具体的な打ち合わせを行った。
会議の冒頭では、大木英夫先生が突然、顔を出され、牧師支援のための実践的活動をぜひ一歩踏み出してほしい、と強いエールをいただいた。
まだ蓋をあけるまでわからないが、私の大きく関わる仕事は、今の運営している「牧会心理(事例)研究会」を、もう一つ新たに創設することになりそうだ。
というのも、こうした会は、スタート時のメンバーでおおむね固定しなくてはならない。互いの信頼関係を深め、事例をわかちあいやすくするためだ。そのため、その後、そういう会に参加したい人がいても受け入れられない。
今もそのような状態にある。そこで新規(第二)事例研究会を立ち上げ、創設時に、10〜15人を募集して受け入れようというのだ。
同じ教団の人が多いと何かとよくないので、たとえば、同じ教団の人は3人まで、などの制約があると思うが、たぶん後は、申し込み順ということになると思う。
年3〜4回。曜日は固定するが、未定。1回に2時間半か3時間。参加者の一人が、苦慮している牧会事例を提供し、それについて参加者がわかちあい、話し合う。けっしてまとめない。非難や指導はしてはいけないルール。似た体験を共有したり、新しいアイデアを肯定的に交換する。参加者の希望次第だが、私がその事例について20分〜30分程度のコメントをすることも可能。
募集は4月上旬か中旬。おそらくこれまでの聖学院の行事出席者に郵送物で、同時に大学HPで、呼びかけることに。会場は、上尾キャンパスか、さいたま新都心か、あるいは駒込キャンパスか。
公平性を期すため、私のブログでも、フライングせず、HP発表翌日くらいに掲載する予定。
私のお薦め。40代〜50代で、牧師同士の友情的な交流を求め、聴く姿勢のある人。かなり、はまると思う。
会議が終え、暗くなったキャンパスで、点灯されたクリスマスツリーをしばし見上げる。 -
「自分のことが好きになるような、褒めてやりたいような・・・」
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2008.11.28 Friday 22:19昨日は、CCC主催のコラージュのワークショップを池袋で行った。4時間のワークショップで、4回シリーズの第2回目。
最初に、前回のハガキコラージュと「多義性」の考え方をおさらい。ついで、A4版の画用紙によるコラージュの実習。二人一組でのわかちあい。クラス全体でのわかちあい。ハガキコラージュと普通コラージュの比較。作品の読み方・連想の仕方の講義( 「レジュメ:コラージュ作品の受け止め方(連想)の実際」として別掲載)。
最後に、「雨の日のわたし」(華恵、野生時代08年6月号、370-375p)を配布し、読み上げながら、要所要所で私が解説を入れた。この記事は、華恵氏が、実際に私のコラージュ療法を受けた際の体験を、作家の眼も交えて報告したもので、作成者の立場からの詳細な報告というのも面白い。
私がこの記事から、一番教えられたのは、作成者にとって、作品のフィードバックをいかに鋭くもらうのかではなく、ただひたすら作品を肯定的に、真剣に理解しようとしている他者が目の前にいるということが大切なのではないかということだ。
「あらためて二枚のコラージュを見ていたら、笑いたくなってきた。
私、けっこういいじゃん。
恥ずかしいから口に出して言えないけれど、自分のことが好きになるような、褒めてやりたいような、そんな感じ。誰かから、『あなたはこうですよ』と分析されるよりも、素直に『これって私』と思える。」(374p)
「カウンセリングが終了して、私はコラージュ二枚を持って部屋を出た。
新しくあつらえた眼鏡をかけているみたいな、花粉症がいっぺんに治ったみたいな、重苦しさがパァッと晴れたようなスッキリ感。栄養たっぷりの温かいスープを食べた後のような満足感。なんなんだろう、これ。」(375p) -
お茶の水で、牧会ジャーナル「春」号を考える
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2008.11.28 Friday 21:45
今日の午後は、埼玉の奥から、お茶の水のOCCビル4階へ。奥の奥にある、いのちのことば社の「超」小会議室へ。
牧会ジャーナル編集委員会に出席するためだ。他の要件があり、今回は、「超」大遅刻。
できたての最新号(第41号、冬号、特集「女性牧者の安息」。もうすぐ出回ります)の反省会と、次号の企画。私は次号から3回くらいのシリーズで、「中年期の危機と安息」という記事を書くことになった。
写真は、私の座った位置からの一枚。(左下;牧会ジャーナル最新号。中下;私の「ほぼ日手帳」。右下;前回委員会の議事録。左上の指は、う〜ん、たぶん根田氏) -
雨上がりの朝
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2008.11.28 Friday 17:21
冬の朝の、雨上がり、窓越しの風景が、
暖かい学バスからなので、曇る。
もうそんな季節になったのか。
文章を書く必要があり、甘糟りり子の「真空管」を今朝から読み始める。
「雨上がりの東京を見たいと思った。」と、ヒロイン有里が登場する。
甘糟ワールド。退廃的で享楽的で、屈折しきった登場人物たちを読み込むのは、憂鬱だが、
せめて雨に優しく包んでもらおう。 -
レジュメ:コラージュ作品の受け止め方(連想)の実際
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2008.11.27 Thursday 20:09
コラージュ作品の受け止め方(連想)の実際これまでの講義
作品から連想を働かせる
(0)まず画面を注視する。マクロに、ミクロに。
(1)制作者(クライエント)の説明をどのくらい引き出すか。
果敢に引き出し、フィードバックする面接者と、素朴な感想と見守りの面接者。
相手次第→制作者が説明する人なら聞く。説明できない人なら優しく見守る。
こちらの意図次第→「いたずらに深めない(メッセージ性が高い)」なら聞く。
(2)制作者の使う比喩
(3)奇異、特殊を聞く
(4)一部、説明不能の場合
(5)系列
(6)比喩や布置↓
とりあえず
(1)相手の説明を聞き、理解する。上記(2)(3)(4)
(2)相手からさらなる説明を引き出す。
(3)こちらの感想を素朴に伝える(勇気づけ)。空振りでまったくかまわない。
*極端な話、作品内容の解釈がなくても、コラージュ療法は成立する。
*また、しゃれたフィードバックをしなくても、自分の作品を理解してくれようとしている人がいると体験できれば十分。自己肯定感が生まれる。
相手の感想もいろいろなものがあって良い。
(1)時間軸 制作時の感想、制作直後の感想、面接者との対話後の感想。
(2)人格層 意識的・常識的、漠然とした前意識的、無意識的。
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夜明けの脱稿
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2008.11.27 Thursday 19:10昨夜は、締め切りの過ぎた原稿を完成させるために、集中した。ボリュームは8枚。ここが間違いのもとだった。
私の中では、1枚の字数が二種類ある。ひとつは、400字でもあり、もうひとつは(ワープロ画面で換算して)、1,600字である。今回は、なぜか、1,600字換算で考えて書き始めた。書き始めながら、こんなにゆっくりとした論の進め方で書けるはずがない、と途中で、想定した字数が間違っていたことに気が付いた。全部で、たった3,200字だった!!。
夜中の1時から書き始め、3時ころに立ち止まり、再び新たに書き始めて、5時すぎに完成。
別投稿の「「悪」に陥る心理 〜犯罪カウンセリングの経験から」がそれである。
それにしても平凡な原稿になってしまったが、まあ、これも実力相応と言うことか。 -
原稿:「「悪」に陥る心理 〜犯罪カウンセリングの経験から」
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2008.11.27 Thursday 09:56*「信徒との友」09年2月号(特集:悪より救い出したまえ)1月10日発売に掲載
「悪」に陥る心理
〜犯罪カウンセリングの経験から私は、臨床心理士として犯罪を犯した人のカウンセリングを担当することがあります。それも信仰を持ちながらも犯罪の道に進んでしまった方の場合もあって、人が善を求めながらも「悪」と無関係でいられないということをカウンセラーとして考えさせられています。
ここでは、犯罪を犯したAさんとの面接の経験から、人と悪との関係について考えてみたいと思います。 -
姜尚中先生、現る
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2008.11.26 Wednesday 19:11+
今日は、学内で「アメリカとは何か − アメリカ史の文脈から考える」という講演会があった。
講演者は二人で、姜尚中先生、奥平康弘先生。特に姜先生は、マスコミの露出度が高く、優しい口調や、おしゃれさやルックスもあいまって、ファンが多い。今回も部外の(思いの外)一定の年齢以上の方々が(おそらく姜先生目当てで)たくさん来られていた。
質疑応答がおもしろかった。
学生からの質問に答えるかたちで、最近の自衛隊の現場のトップの論文問題がとりあげられた。奥平先生が、あのような論文を出させてしまう現在の状況が問題、かたや出てきた論文に懲戒免職せよと糾弾だけするのも問題。その二つしか出てきていないことに最大の問題を感じる。「侵略国家でない」と主張する人は、「***国家」なのだと主張しなければならない。
というようなことをおしゃった(私の能力の限界で、まとめきれていない感じもするが)。
何か深い真実なものに触れさせていただいた気がした。
(写真は、まだ開演前。そろりそろりと講演者2名が、中央の通路から講演者席に向かうところ。) - ←back 1/6 pages next→