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お後がよろしいようで・・
2008.12.31 Wednesday 20:42
  

 恒例?の今年最後の買い物。
 落語CD(八代目桂文楽)「愛宕山」。
 
 連続テレビ小説「ちりとてちん」が、2007年10月から2008年3月まで放送された。けっこう見ていたが、ちょうど、父の他界の後からは、独特の温かいものを感じながら見たり、聞いたりしていた。
とくに、草若師匠(渡瀬恒彦)の「愛宕山」がまぶしく温かかった。

話は、春の愛宕山ピクニックに繰り出す凸凹コンビのかけあい。
冒頭の一説は、ドラマでは何度も挿入され、耳に残っている。

<・・・れんげ・たんぽぽの花盛り・・・そらにはひばりがぴーちくぱーちくぴーちくぱーちくとさえずって・・ ・・・その道中の・・陽気なこと・・>

しかし、今日買ってきて聞いた「愛宕山」には、冒頭のこの<ぴーちくぱーちく> のくだりはなかった。残念。
やはり渡瀬の「愛宕山」が聞きたい。

とはいえ、かけあい道中は良い感じだ。
来年は、温かく、まぶしく、陽気で、かけあいに満ちた道中にしたいものである。

ということで、お後がよろしいようで・・・。
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2008年重大ニュース(個人仕事版)
2008.12.31 Wednesday 10:50
個人仕事版:2008年度重大ニュースを・・・

【第1位】実父他界
 1月21日。個人仕事版と限定しても、あまりに大きな出来事だった。日程調整ができぬものについては、そのまま出講したのも大変な経験だった。特に葬式の翌日に、生涯学習センターで映画を使いながら「大切な人を喪うとき」という講義をしたのだが、自分で語る言葉が自分にそのまま返ってくる、かなりしんどい講義となった。物理的な準備に限っても、実家で過ごしていた私にはいつもの資料もパソコンもなく、配付資料やレジュメもまだ作っていない状態で当日を迎えた。思考力も停止していたし、講義自体もまったくの新ネタだったので、今から思うと危なかった。父の遺骨と写真のわきのライティングデスクに生前父が愛用していたノートパソコンがあった。起動してみると、ワープロも、ネットも使えた。引用したい言葉や人名の確認をネットで行い、ワープロでレジュメや資料を作成し(史上最大の変換ミスの連続、そして文章自体がかなりおかしかったが)、会場に向かったのだった。実家で資料準備のワープロを打ちながら、天国の父に見守られ、応援されている感覚を味わった。この感覚があるので、(私の中では今年は気持ちを仕事に向けきれなかった年だと思っているが、)仕事への関心や意欲をある程度維持できたのだと思う。
 もっとも、表面的なものをクリアしているだけで、雑務や基礎となるべき仕事を素通りした一年でもあった。新年度は、そうしたしわ寄せが露呈するかもしれない。

 

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08年度を振り返る(1)07年からの流れ(個人仕事版)
2008.12.31 Wednesday 00:22
 
個人仕事版:2007年重大ニュースであげたものが継続されたかを点検する。

【第1位】大学院新コース(08年度から)「臨床死生学・グリーフケア」コースが誕生。
→無事、新科目の担当し、充実感があった。ただし、コース全体の雲行きは流動的?。

【第2位】ブログが一年間、続いた。
→2年目も続いた。

【第3位】研究室の環境整備
→順調に研究室を利用。ただし、来客が多すぎた気もする。

【第4位】キリスト教界・牧師向け講演会、活発に。
→順調。

【第5位】SV(心理臨床指導)多岐にわたる。
→順調。

【第6位】マッサージ研究会を始める
→順調。2年目は横寝による全身マッサージを学ぶことができた。

【第7位】書籍3冊
→out。あえていえば、講演録のブックレットが1冊。かなり停滞してしまった。

【第8位】アメリカドラマ・韓国ドラマを見る
→out。「エイリアス」(第1シーズン)を見た後が途絶えてしまった。「夏の香り」の途中で立ち往生。

【第9位】コラージュ療法・ワークショップが進化?
→順調。進化は続く。

【第10位】体調は微妙?
→out。父の死去の影響もあると思うが、なおいっそう、呼吸の浅かった一年間であった。

【その他】小さな冒険
 英文の論文投稿の準備。→止まったまま。
 中京大学法科大学院の講義を、名古屋で前泊するようにした。→今年で最後。
 描画テスト描画療法の4年後の大会長を引き受ける。がんばろ。→まだまだ未確定の要素強し。
 教会新聞「えくれしあ」で、取材記事を担当する。→退任。
 長・中距離の散歩を実践。→中断。
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阿久悠と「時代おくれ」
2008.12.30 Tuesday 23:35
 今夜、NHK教育で、わたしのこだわり人物伝「阿久悠」全4話の再放送を見た。 阿久悠とは、いわずとしれた天才作詞家。昨年他界した。
 第1話では、秋元康が、阿久悠の詩「時代おくれ」を解説するくだりがあった。 いわく、バブルの時代のまっただ中で、時代を見透かし、こうした視点の詩がかける人なのだと。

 ついでに言うなら、阿久悠独特の技巧のない詩であることも、この詩の特徴だろうと思う。 いわば、たんたんと自分を吐露するような作品ともいえるだろう。

 <目立たぬように はしゃがぬように>
 <似合わぬことは無理をせず>
 <人の心を見つけつづける>
 <時代おくれの男になりたいと>

・・・細かいシチュエーションは別として、(無粋な解釈になってしまうが)中年男性の「自己肯定感」「無力感の受容」を感じるなあと、やや感動。



「時代おくれ」  阿久悠


一日二杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら 微笑んで
十八番(おはこ)を一つ 歌うだけ

妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで
酒場の隅に置いて行く

目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つけつづける
時代おくれの男になりたい

不器用だけれど しらけずに
純粋だけど 野暮じゃなく
上手なお酒を 飲みながら
一年一度 酔っぱらう

昔の友には やさしくて
変らぬ友と 信じ込み
あれこれ仕事も あるくせに
自分のことは 後にする

ねたまぬように あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思いつづける
時代おくれの男になりたい

目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つけつづける
時代おくれの男になりたい
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メッシュ
2008.12.30 Tuesday 19:32


 今日は、かねてからの予定であった老母の元へ。老母は、今年初めて年末年始を単身で迎える。役に立たないなりに大掃除の手伝いをしようという目的であった。
 心づもりとしては、せめてガラス戸拭きでもと思っていたが、ガラス戸は、姪があすやる予約が入っているとのこと(感心、感心)。とりあえず、蛍光灯を二つ換え、結局、台所作業へ。まず栗きんときのためのサツマイモつぶし(つい最近似た経験)と、水分をとばすためのかき混ぜ作業。それからきんぴら用のゴボウ切りをした。
 帰りは、日没時間より数十分前の夕焼け時。さいたま新都心駅は、無機質な鉄骨ドームの駅だが、ちょうど、染髪のメッシュのように、きれいなオレンジ色の光が幾筋か差し込んでいた。
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思い出3品
2008.12.29 Monday 21:35
 

 今日も、たらたらと資料の整理をしていた。懐かしいものがいくつも出てきたが、捨てることにした。自分自身のグリーフケアのために、ここで3種、掲載することにする。

 ↑ (1) これは脳波を解釈するときに使うスケール。脳波の波(基礎律動)が何ヘルツで、というのを、初学者は、こうしたスケールの目盛りをあてて、確認する。臨床のスタートで、脳波係を仰せつかって、最初の2年くらいは脳波(測定と所見作成)にかなりの時間を使ったものだ。
 また、脳波の場合、「睡眠脳波」研究というジャンルもあって、睡眠中の脳波もかなり測定した。また頭にも皿形の電極をいくつもペーストでつけるので、人の頭の形には敏感になった。測定後は、洗髪を手伝ってあげるのが意外と大変だった。もう20数年前のことだが、今も、マッサージで後頭部などのマッサージの演習指導などを受けた際には、このころの脳波測定を思い出したりしている。
 当時、まだ有名でなかった「睡眠時無呼吸症」や、薬物使用者の「ステージ1レム」など、集めたなあ。20代後半の思い出だ。





↑ (2)これは、コンピュータ音痴の私が、必要に迫られてデーターベースを作ったが、その使用マニュアル(暴走族検索システムの手引き)。職場の心理技官6人?で使ったもの。当時、埼玉県では、「上り」、「下り」という二つの暴走族連合体の抗争が勃発し、100人対100人といった規模の逮捕者が出た。数年かけて警察も逮捕立件し、私の当時の職場(少年鑑別所)にも、コンスタントに入所し続けた。そのとき、共犯者は誰で、どんな処分になっているか等、基本情報を確認するのだが、あまりに膨大な数のため、頭の記憶では太刀打ちできなくなった。そこで、当時普及していた「カード3」で、作ったのだが、ずいぶんと重宝した。暴走族の面接も懐かしいし、一生懸命プログラムを独創していたことも懐かしい。30代半ばの思い出。


     

↑ (3)少年院に勤務したとき、少年たちと一緒に、陶芸コースに顔を出した。そのコースは非常にアートセラピー的で、自由な作品を毎回、造らせていた。あるとき、「自分の好きな家」を造ることになった。私も、上記写真の作品を造ってみた。これは真上から見ると(左)、サクラの樹のかたちになっている。幹部分は、四角い家屋で、そこにつながっている樹冠部分は、庭。なぜかこの陶芸作品には愛着があって、これまで捨てずに来たが、今回は思い切って捨てた。
 40歳。異質な職場(少年院という教育施設)に中間管理職として赴任したときの思い出だが、いろいろな制約があるほうが、かえってその中で、自由奔放に振る舞えることを学んだように思う。
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さつまいものキンツバ
2008.12.29 Monday 13:19
 

 ↑焼く前の、固まり。ここから包丁で切り分けた。



 ↑完成。 

昨日の夕方は、さつまいもの甘いもの編ということで、きんつば風を作った。

 ・・・・・・
 さつまいもを小さく切り、茹でて、つぶす。味付けは、砂糖、みりん、少し蜂蜜、醤油、レモン汁。
 小麦粉を水でといた衣をつけて、フライパンで焼く。
 サツマイモ4つで、きんつば20個以上ができた。 
 ・・・・・・

周囲の評判もよく、達成感。

昨日の昼は、「東大」という徳島ラーメンのパックを調理して食べた。
これが、おいしい!醤油とんこつの良い感じだ。
胃袋の幸せな日々。
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ブログ書籍:「suchitooの独り言」
2008.12.29 Monday 08:37
 

 タイとスピリチュアルな世界を中心に、体験を交えて報告、考察するブログ、「suchitooの独り言」というのがある。なかなか読み応えのある充実の内容である。わたしなどは、このブログを抜粋して、新書本がつくれるなあと思ったほど。
 と思っていたら、管理者の松下氏が1年分をまとめて書籍にしているそうな。というか、2007年分のものを今年の1月に頂戴した。「贈呈どうも」カテゴリーになぜか掲載をすっかり忘れていたので、本日紹介させていただいた。
 ぜひ松下氏のブログをご覧ください。
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「良い加減」と「イイカゲン」
2008.12.28 Sunday 21:18
私は、つねづね人間援助者として、運命のようなものを感受し、自分の側の力で相手を支配しようとすることがないよう自戒してきたし、文書にもしてきた。
 
最近、「学術通信」90号.2009年初春号(岩崎学術出版)を手にしたが、その中で、岡野憲一郎「柔構造、または療法家の「いい加減さ」について」(10−13p)という短い文章があった。ここでの岡野氏の指摘はまさにわが意を得たり、であった。
 
その中で、岡野氏は、臨床家の柔軟性の必要を説き、「いい加減さ」という言葉をあてた。しかし、一般に否定的な「いい加減さ」という使い方もあることから、肯定的なものを「生産的ないいい加減さ」と、否定的な「イイカゲンさ」とに分けている。そして、両者の違いを以下のように明快に説明している。
 
・・・・少し長くなるが以下に引用する。
 
「「生産的ないい加減さ」とは、自分の行動の範囲外にあるもの、つまり他人が関わってくる部分については、余計な努力や期待をせず、こだわりを捨て、自然な流れに任せるということなのだ。その代わり自分の行動により変えることが出来るものについては手を抜かないのである。
 それに比べ「イイカゲンさ」とは、どこで力を抜いて、どこにこだわるかについてのメリハリがない。結局は自分で出来ることもせず、逆に他人の人生に自分の主義やこだわりを押し付けたり、あれこれ指図したり、批判したり、過剰な期待を抱いたりする。またイイカゲンな人は自分自身を変えているように見えても、それは決して自発的なものではない。周囲により影響を受け、迎合し、洗脳され、あるいは力負けをする形で変えられてしまっているのである。」(12p)
 
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苦しみにあわないと
2008.12.28 Sunday 21:10
 今日は、今年最後の礼拝があった。説教の後段で、詩編107編が紹介された。

  「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、・・・」(詩編107編6節の前半)
 そう、人は苦しみにあわないと、真摯に主に叫ぶことができない。印象に残った。
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藤掛 明
雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
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