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カモミールの種
2011.10.31 Monday 21:33
 昨日(10月30日)は、教会の召天者記念礼拝があった。私も、亡父の遺族としても出席した。
 年に一度、この機会にお会いする方々もいる。
 私の母や妹も、年に一度教会に足を向ける。

 大事な節目の日なのであるが、年々せわしなく迎えている。
 いかんいかん。
 
 小3のおいに、たまたま持っていたカモミールの種をあげたら、すごく喜ばれた。
 プレゼントがいのあることだ。
 そういえば、我が家のベランダのオリーブとブルーベリーの苗を母の家の庭に移すことになった。


 

 







 
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大学院の中間発表会
2011.10.31 Monday 20:43
 

 10月29日(土)は朝から、大学院修士の中間発表会、午後からは博士の中間発表会があった。
 学際的というか、多種多彩の学問分野がひしめくなか、質疑応答も、意表をついたり、そもそも論があったり、刺激的であった。

 帰り、最寄り駅から駅前を望む。
 あ〜、今日も終わったぁ
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美しい日差しの中の、東日本大震災シンポ
2011.10.31 Monday 20:29
 

 10月28日(金)午後。
 聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センター主催シンポジウム
 「東日本大震災を神学的にどのように受け止めるか」
 シンポジストは4名。
 柳谷 明 (山形県六日町教会隠退牧師)
 大木英夫 (聖学院大学大学院長)
 小友 聡  (東京神学大学教授)
 平山正実  (聖学院大学大学院教授)

 震災関連の講演は、距離感が難しいと常々思わされる。
 現場の個々の活動と、遠くからの抽象論。その間の手触り感のある「何か」を扱いたいものである。
 その点、複数シンポは、有利で、間にある何かを探り出しやすくなる。

 今回は、シンポジストの世代を感じた。
 いつの日か、35歳、50歳、65歳、80歳の4人のシンポも開催できたなら…。

 <写真は、会場のクローソンホール。美しい。右脇の計算された美的採光をぱちり>
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CCCコラージュ講座が始まる!
2011.10.31 Monday 20:18


 10月27日(木)、池袋で、CCC(キリスト教カウンセリングセンター)主催のコラージュ療法セミナーにうかがった。確かに今年で5年目。毎年、10、11、1、2月の4回連続で行っている。

 毎回、4時間で、必ず1枚作品を作り、わかちあう。毎年参加者には刺激があるよう、カリキュラムは多少変化させながら続けている。

  

 今回の私の作品(はがきサイズ)。
 自転車置き場の並み居る自転車のように、課題山積(右上)。
 これをなんとかするには、軍隊に出動してもらうしかない(左下)。
 タイトル。「超・完全撤去」。
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穏やかな秋の一日
2011.10.31 Monday 20:09
 

 10月26日(水)、創立記念講演(牛津先生)を聴いた。おだやかな話口調と、ご自身の体験談。
聴き入りました。

 あと、講演者は映画作品によく言及していた。親近感。映画評論ブログの紹介もあった。

 セガール気分で逢いましょう

  昼すぎ、講演会場にチャペルから、自分の研究室に移動中、暖かい日差しを感じて、一枚。
  
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「情事」から「萌え」へ
2011.10.31 Monday 14:24
 10月22日(土)10時。県民活動センターで、今年度、最初のオープンカレッジ(聖学院大学枠)が始まった。「映画に学ぶカウンセリングマインド」で、同じ枠で、2009年度に行った同名シリーズのシーズン2。前回は、健康な人の人生の課題を考えたが、今回は様々な病理性を学ぶ。

 初回は、人格障害。映画は「危険な情事」。病理のテキストになる映画は、見終えたときに、満足感がちと低い。
 

<↑ 講師が操作するDVD再生機のモニター画面>




<↑ 午前中の会場は、かなり立派なところ>

 同日午後。伊奈町から、びゅーんと移動して、都内浜松町に。
 ここで、開催されている「いのり☆フェスティバル2011」に参加。



<↑ インパクトのある萌えポスター>

 この「いのフェス」には、2つの関わりがあった。

 ひとつは、出展ブース「おふぃす・ふじかけ」という個人出展。
 拙著を並べた。
 加えて無料配布の、「この時代に村上春樹を考える」(対談第4回、リバジャパ誌)
 「子どもの心をケアする」(ファミリーフォーラム・ジャパン)を置いた。

 ふたつは、会場での講演(60分)。信仰者のメンタルヘルスについて語った。
 会場の反応は予想したより良かった。閉じられた講演空間ではなかったが、
 集まった人の聴こうとする空気が感じられ、話しやすかった。

 

<↑ 「おふぃす・ふじかけ」出展ブース>

 初回のイベントということで、ブース数も、来場者数も(200人くらい)、たぶん少なめだった。
 それでも思わぬ再会があったり、初対面があったり、不思議なおもしろさがあった。主催者に感謝。

 ちなみに水谷潔先生とは、イベントなどで会えそうで会えない間柄だったが、今回会えました!

 今後、尻上がりに規模が拡充していくだろうから、初回に参加したのは記念(自慢)になる(笑)。

 個人的には満足度が高かった。
 あえて言えば、会場にだらだらと滞在できる工夫があると良かったと。でも大勢来たら、むしろ滞在されたら困るけど?

 思いつきのアイデア…
 (1)会場にだらっと滞在するため、談話コーナーのようなものがあると良い。
 (2)会場ご近所マップ(ランチと喫茶)を配布。会場の近くでランチや喫茶をはさみながら再来場してもらう。
 (3)スタンプラリー。3〜6種類のコースを設定し、各出展ブースを回るように誘導する。賞品付き。
 (4)講演コーナーで、各出典ブース店員による「出展紹介」の1分スピーチ。司会者の質問に答えるスタイルで。
 (5)毎年、ミニテーマでの主催者運営ブースを用意。東日本大震災ブースとか。
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堀肇先生の引き出し
2011.10.31 Monday 12:48
 

10月21日、14時から16時30分。
カウンセリング研究センター主催の講演会、「心理療法における愛と癒し」があった。
講師は、堀肇先生(鶴瀬恵みキリスト
教会牧師)。
心理療法に関するレビューから、援助者の霊性(癒し手自らが傷を負っていることの意味)に至るまで、堀節を味わえた。堀先生の真骨頂は、質疑応答で、次々にいろいろな引き出しが出てくること。この日も、次々に出てきました。どれもこれも味わい深いコメント。


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アイリスをあきらめ、最後は国境の南に
2011.10.31 Monday 12:08
 

 10月17日(月)〜18日(火)と、秋田に講演にうかがった。主催は内閣府で、青少年指導者への分科会での講演であった。出番は、18日の午後だったが、出席は同日朝から。震災地での子どもケアについて、他の講師のお話を聞いた。
 
 当初は、早めに秋田入りし、アイリスのロケ地にでも行こうかなあなどと思っていた。しかし、体調がぼろぼろで、前日の出発を夕方まで遅らせ、発熱時の頓服も内科にもらって、情けない気持ちで移動した。秋田駅に降り立つと、あまりの寒さにびっくり。コートを着ている人もけっこういた。

 火曜日には多少回復し、ぼろぼろなコンディションなりに、自分の責任を果たして帰京。
 講演は原理を話すよりも、もうすこし実際的総覧的なものが良かったんだろうなと反省しつつ…。

 帰りの新幹線では、さらに一段階回復。乗車前に、駅内書店で、村上春樹の「国境の南、太陽の西」を購入。私にとって最初に読んだ村上春樹作品がこれ。ひさしぶりに再読。

 前回は、主人公の内省も長いし、悲劇的な結末という、漠然とした印象だったが、今回は、無駄のない構成で、結末も希望を込めたものという印象に変わった。再読もいいものだ。
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サブレとイチジク(古河市での講演)
2011.10.31 Monday 12:05
 10月後半はオーバーペースで、活動報告記事が更新できなかった。
 すこしさかのぼってみたい。

 10月15日(土)。かなり以前からご依頼を受けていた講演をしに茨城県古河市の教会にうかがった。午前中は、古河教会の婦人会主催の講演をさせていただいた。人生後半戦の生き方についてお話しさせていただいた。控室で、遊水池サブレというネーミングの菓子をいただき、「茨城と水」のイメージを強くした。この遊水池は、渡良瀬遊水地のことを指すように思うが、これは足尾鉱毒を沈殿させ、無害化するために作られたもの。社会の毒を無害化するというのは、教会のある側面の姿のようで意味深い?。
 ちなみに、古河教会の婦人会では、拙著「ありのままの自分を生きる」を少しずつ読む勉強会をされていたとか。ありがたいことだ。
  

 午後は、同じ市内の総和教会に移動し、古河市の牧師グループの勉強会の講義。牧師のメンタルヘルスについてお話しさせていただいた。講義の前に、イチジクをいただき、感動。かつて(かなり昔)私が講師を務めたセミナーで、コラージュを作ったという牧師先生もおられ、この世界、狭いなあと実感。



 総和教会は、リフォームが終えたばかりなのか、おしゃれなセンスにあふれていた。
それにしても土曜日の午後というお忙しい時間帯にご出席いただいただけで感謝。
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答えを用意しない
2011.10.29 Saturday 21:18

人は、相談するとき、多くの場合、模範解答を期待していない。
だから、早々に相手からもっともらしい答えを与えられると、悲しい思いになる。
そして、(模範解答なので)反論ができないだけでなく、その話題をさらに先に進める道を閉ざされる悲しみをも体験する。

一方で、人は、他の人から相談を受けると、なんとか答えを用意してあげないといけないと考える。答えずに、ひたすら相手の言葉に耳を傾け続けることに耐えきれなくなる。答え(助言)をとりあえず口に出すことで、役目を果たしたかのような安堵感や達成感を覚える。

本当の答えは、あらかじめ存在しない。人と人が会って、お互いに模索するなかで、少しずつ見えてくるものである。語り続けるなかで、相談しているその当人が自ら糸口を見つけていくことも起きてくる。

疲れている人とともに歩くとき、手をひっぱってあげることもあるし、背中を押してあげることもある。時にはその人の脇を一緒に並んで歩くことも大切なことだ。

 

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藤掛 明
雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
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