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ふんわりと
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2017.12.31 Sunday 22:18
2017年を振り返ると、グライダーのように自分に動力がないのにもかかわらず、
空を舞おうとした一年であった。
風に乗っているときはいいが、無風になったりすると途端に下降する。
12月に作った自分自身のコラージュ作品。そのイメージの中では、機体を維持できず、とうとう海面に突入しそうな事態となった。
そこで考えた。
最初から海面に着水できる「飛行艇」はどうだろうか。
足で漕いでプロペラを回す「人力飛行機」はどうだろうか。
わずかな風にも浮揚する「超軽い機体」はどうだろうか。
来年も決定打はないが、その都度、あれこれと思い巡らしながら、次の一歩を踏み出すための勇気と希望を探していきたい。
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それはそれでよかった
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2017.12.30 Saturday 13:57
ほぼ日手帳の文章から
…
「それはそれでよかった。」そう思うよりも先に、そう口に出してみる。
よかったと言えることは、よかったのはじまりだ。
一年の終わりが近づくと、たくさんのことを思い出します。」
<糸井重里が「今日のダーリン」の中で>
神はすべてを益としてくださる、という聖書の約束がある。
そしてそれを受け止め、つなげる個人の表現というのが無限にある。
それはそれでよかった、というのもアリだな。
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提示方法の多様性
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2017.12.30 Saturday 11:27
(写真は、礼拝が終わった後のざわめきの会堂)
さきほど数年前の中村佐知さんのブログをたまたま読んだ。
同性愛の学校教師が、そのことで批判され、自死に及んだ出来事を取り上げ、こう述べている。
「私がここで言いたいのは、同性愛の是非の問題ではない。そうではなくて、何らかの深い問題、苦しみ、痛み、恥などを持っている人(あるいはそうでない人でも)がいるときに、私たちが真っ先に言うべきことは「あなたは罪人です」なのだろうか?ということ。「あなたは〜〜をして、××を信じないと救われません」という、否定形のステートメントなのか?ということ。福音とは、私たちが伝えたいグッドニュースとは、最初にバッドニュースを持ち出して、それと対比させないとその素晴らしさがよくわからないような、その程度のものなのか?ということ。」
http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20140318
私はこの記事を読んで、教理と提示方法についてしばらく考えた。
キリスト教の教理は重要である。一方で、提示方法の多様性も大事だ。
長い歴史のなかで、この提示方法については悪い意味で固定化されてしまっているように思う。
今年、来住神父の「キリスト教は役に立つか」という本が出たが、提示方法の多様性を真っ向から扱う、ひとつの挑戦であるように思う。
教理はいわば、ひとつの「神の大きな物語」である。
ひとそれぞれにも「個人の物語」がある。
キリスト教との出会いにより、あるいは信仰の成長により、
多様な個人の物語が、神の大きな物語につながっていく。
神の大きな物語はひとつであっても、個人の物語が多様である故、そのつながり方も多様である。
多様なつながり方を自覚し、多様な提示方法を検討する。
そういう作業を行うことが急務となっているのだと思う。
折しも、私の職場で、キリスト教カウンセリング研究講演会というのを開催している。
毎回、超一流の講演者を招きし、よくぞ来てくださったと飛び上がって喜んでいる。
が、同時に「多様な提示方法」を考えさせてくれる先生方をあえてお招きしているつもりだ。
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吉枝隆邦先生の訃報
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2017.12.29 Friday 17:47
(写真は日暮里駅近く。2013年春)
高校生聖書伝道協会(hi-b.a.)元代表の吉枝隆邦(よしえだ・たかくに)先生が亡くなった。27日のことであるが、私は今日になってフェイスブックで知った。
吉枝先生には、私は高校生としてご指導をいただいた。池袋集会、赤羽集会で、吉枝先生が担当スタッフであった。集会開始前に個人的に吉枝先生とお話しするのが楽しかった。
2012年、フェイスブックの私のところに、突然吉枝先生が書き込んでくださり、それがきっかけで、翌年、先生のご自宅で開催されている集会に、お話をしにうかがった。
感謝したい、いろいろな思い出がうかんでくる。
→2013年、30年ぶりの再開
http://fujikake.jugem.jp/?eid=3359
→2016年、寄稿
http://fujikake.jugem.jp/?eid=4495
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楽しいかと自分に聞く
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2017.12.29 Friday 14:57
ほぼ日手帳の文章から
…
「出来る限り素直に「楽しいか」正直に自分に聞くこと。もう、本当にそれだけなのかな、と言う気がしています。
<白川密成さんが「坊さん。映画化復活編」の中で>
教会関係の研修会で講師をしたとき、後刻それを出席している教会の牧師に報告する。
するとS牧師はよく言う。
「楽しかったデスか?楽しく講義を出来たかどうかが大事ですよね。
そう、それは良かった。」と。
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悲しみの作法:ユノの知性とチャミの感性
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2017.12.29 Friday 12:09
韓国の人気グループ、東方神起。二人とも兵役から帰還し、活動をこの夏から再開したばかり。現在、日本での全国ツアーの真っ最中である。そんなおり、12月18日に自死でSHINeeのボーカル、ジョンヒョンが亡くなった。東方神起からすると彼は親しい弟分。
東方神起の二人が、親しい人物との死別の悲しみをどう受け止めたのか、考えてみたい。
直後のコンサートで、彼らはこのことに言及している。
ユノ 「言おうか言うまいか今も迷ってます。昨日あいつを見送りに行って、今日は頑張るからと約束した。いつもの4倍頑張った。あいつに届いているかな(天を指差して)」
ユノは、故人となった対象者と会い、会話する。いわば情緒的に一体感を味わう。しかしそれで終わらない。その後一転故人を送り出し、天を指さし、遠くにおく。対象者との距離を良い意味でとることで、冷静に・大局的に・知的に・分析的に・洞察的に、事態を捉え直そうとしている。こうしたスタイルをとる人は知的でタフだ。
チャンミン「人生は出会い、再会、別れは超自然なこと。でも時に自然でなく残酷なこともある。隣にいる大事な人とハグしてください。彼を忘れないで下さい」
チャンミンは、人生の出会いと別れという一般論から入るが、その後、隣にいる大事な人とハグしてくださいと訴える。ハグに限らず、触覚、肌触りというのは親密で情緒的な交流を表す。理屈でなく、感性で処理する。こうしたスタイルをとる人は実際的でいい人だ。
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いよいよ晴佐久神父の講演会!
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2017.12.28 Thursday 11:45
来年2月。都内で夜に開催という新スタイル。
総研主催のキリスト教カウンセリング研究講演会の第二回目。
いよいよ晴佐久神父が登壇。受付は始まっています。
早めのご予約を。
詳しくはこちら
http://www.seigresearch.jp/event_belongs/belongs_couseling/
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2015年、正月に考えた執筆案
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2017.12.28 Thursday 11:11
2015年の手帳を眺めた。
毎年正月には、素朴に書いてみたい書籍の構想や目次を書く習慣がある。
2015年は3冊の案を書いている。
(1)闘病本
2015年は、ちょうど2014年12月に難病の診断を受けた直後であったので、
まず闘病記のアウトラインを細かくメモしている。
ちょうど、がんの闘病を書いた「一六時四〇分」の続編にあたる。
難病のつらさは、がんの大変さと対照的で、どちらも体験している身としては、その勝手の違いを書いて世に送り出すことだけでも価値があるように思う。
タイトルは「犬も歩けば棒にあたる」。
アウトラインはとりあえず13章分書かれていて、24章立てに再構成するアイデアも載っている。
(2)ストレス本
2016年に出した「人生の後半戦とメンタルヘルス」のアウトラインとなっている。ただこの時点では4章立てでなく、3章立てになっている。
(3)人の顔・美ぼうについての本
これは牧会ジャーナル誌にすでに連載したものを書籍にした場合の構成案。
事例考察的な部分を補強、増量することなどのアイデアがメモられている。
しかし当時の体調の悪さを思うと、手帳にアウトラインが書かれていたこと自体に我ながら凄みを感じた。
難病の闘病本も、美ぼう本も、面白い内容になる。まずは書いてみるか。
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塩ラーメン、とんこつラーメン
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2017.12.27 Wednesday 19:04
聖学院大学4号館食堂のメニュー。塩ラーメン310円。とんこつラーメン310円。
ついでにいうなら、醤油ラーメン、味噌ラーメンも310円である。
故・平山正実先生が、キャンパスで好んで食べていたのが、とんこつラーメンである。
平素も、病気になってからも、いつもとんこつラーメンを「おいしい、おいしい」と言って食べておられた。
亡くなる2か月前、かなり無理をし、病院から外出して来られたとき、それでも昼になると、
他の人たちを配慮してだと思うが、食堂に移動した。
そのときも、平山先生はとんこつラーメンだった。
私は時折(半年に一度くらい)、この食堂に、とんこつラーメンを食べに行き、平山先生のことを思い出すことにしている。
死の間際まで走りつづけた先生の生き様に勇気をもらう感じである。
さて、あるとき、香山リカ先生と対談をした際、私の「パワーメニュー」という文脈で、このラーメンのことを話した。
ところが、私の記憶はいつのまにか「塩ラーメン」になっていた。完全な記憶間違いである。
飲み込む力が落ちてくると、ラーメンは実に食べやすい食べ物である。そしておそらく、こってりよりも、あっさりのほうを好んだに違いないと思い込んでいたのである。しかし、あっさりよりも、こってりしたものを食べることで、自分に精力を付けるような心理的意味合いがあったのかもしれない。
対談の会場でも皆さんに呼びかけたのだが、聖学院大学にお越しの節は、平山先生を偲んで4号館食堂で「とんこつラーメン」を(あるいは私の記憶間違いを記念して「塩ラーメン」を)食べてみてください。ぜひ。
ただ、香山先生は、その私のパワーメニューの話でなぜ塩ラーメンなのかという話題に、「地の塩、という意味が込められているのでは?」というなかなかのユーモアで答えてくださった。塩ラーメンがとんこつラーメンだったとなると、このユーモアが回収できなくなる。どうしたものか。今度、とんこつラーメンを食べながら、対策を考えてみよう。
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腹をくくる
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2017.12.27 Wednesday 19:01
ほぼ日手帳の文章から
…
「うまいことを言う」のではなく、「わかってもらう」。
このちがいは、ずいぶん大きいと思うのだ。
<糸井重里が「今日のダーリン」の中で>
うまいことを言う人は、自分を危険にさらさず、状況を上手くコントロールすることができる人である。
わかってもらおうとする人は、同じ土俵で自分の身を削りながら苦闘する人である。
ふだんはどちらであってもそれほど気にならないが、
危機的な状況になると、後者の立場にたって、腹をくくれるかどうかが問われてくる。
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