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だぶるへっだー
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2018.04.28 Saturday 22:57
昨日、4月27日。午前中は地元の眼科医にいった。2か月に一度、種々の検査を受ける。飛蚊症、緑内障、ドライアイとどれもやっかいだ。そこの眼科は、予約制でなく、ひたすら窮屈な待合室で待つ。毎回3時間かかる。
ぐったりする。
帰宅して、ごご3時。
現在私は、「一日3時間労働」、「ダブルヘッダー禁止」、という個人ルールを設定している。
少し前までは、ダブルヘッダー、トリプルヘッダーはむしろ好ましいことで、複数の用件がつながると得した気がしていた。
いまは逆に分散することに意を注いでいる。
ところが昨日は、ダブルヘッダー。急ぎのメールを何通か書いて、あっというまに都内・有楽町での会議へ。
毎回、出される弁当は、野菜が多く、低カロリーでかつ美味しい。握力が弱いので、ペットボトルのキャップを開けるのも、
弁当箱の蓋を開けるのも、集中して取り組むので消耗する。
会議の内容は、心理師に係ることで重要で興味深いことがらばかりであるが、始まって30分もたつと首が凝り、座っているのがつらくなってきた。いつもだと1時間半から2時間はもつのに、ダブルヘッダーのこの日は早い。首を左右に振ったり、腕や首をさすったりしていたので、ハタから見たら挙動不審だったりして。2時間すこしの会議時間が長く感じられた。
ようやくダブルヘッダーが終わった。なんとなくできるような気がしたが、どうもそうでなかった。一晩たった朝。右足がつりそうで、起きるものの体がだるく、内科(呼吸器)の定期的な受診を止めにして、一日寝たり起きたり。
夕方、なんとかパソコンに向かうものの、指も上手く動かず、目の前のいくつかの課題がすんなり終わらない。ちょうど凝った弁当の蓋を開けるのがうまくいかず、本来なら何のストレスもなく、処理する作業であるが、その日に限ってセロテープや輪ゴムがどうなっているか一瞬わからなくなったような困惑である。
「一日3時間労働」、「ダブルヘッダー禁止」。なんとか守りたいな。
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心地よい目覚め
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2018.04.28 Saturday 18:22
<ある年のオープンキャンパスでの授業風景>
もう先週のこと。
リハビリセンターでのセッションも10回目。
あ5分スピーチは4回目になる。
ここ最近受けたアドバイスは
1.現在の病気の場合、薬の増量が圧倒的に良い影響がある。リハビリはほんの僅かな影響。
2.ゆっくりと話す、息継ぎを増やす。メモを用意し、それを読むことで、ゆっくりと話すことができる。
3.「ごにょごにょ」とならないように。固有名詞はとくに気を付ける。
私は自分の「ごにょごにょ感」というのは、本来私の中ではポジティブで、溢れる感動を伝えて、早口に、情感をこめて発声しているのだなと思う。この日、偶然テレビ番組で黒木瞳が出ていて、宝塚時代のクセを修正するために、ある監督から、セリフの棒読みを徹底的に指導されたという。本人の認識では棒読みなのだろうが、それでもちょうど良く、しばらくは棒読みを心がけて演じた。監督の「棒読み」を指示した意図は面白い。
そう思うと、私も棒読みが必要なのかも知れない。無感動、無愛想な、棒読みをしようとすることで、話すペースが遅くなる。
私は「棒読み」をキイワードにセッションに臨んだ。
4回目は、5分ぴったり。メモの分量と時間が一致した。
1回目:大学入学を考えている障害者女性に向けてのアドバイス(与えられた課題)
2回目:引きこもりが長期化している男性青年に向けてのアドバイス(与えられた課題)
3回目:おふぃす・ふじかけ賞について(自分で設定した課題)(スピーチが早く終わってしまった)
4回目:描画テストについて(自分で設定した課題)
「声の小ささは課題だが、それ以外は十分だった。」
「日常生活はまだ不十分でも、あらかじめメモを用意する短いスピーチ・講義はOKではないか」
「次は10分スピーチをやりましょう」
そんなやりとりがあった。
その日は、病気のせいであいかわらず早朝覚醒のままだが、朝方、久しぶりに夢を見た。それは大学で講義をしている夢であった。心地よい目覚めであった。
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久保木牧師のブログを眺める
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2018.04.25 Wednesday 18:33
鹿児島の教会で牧師をされている久保木先生とお会いする機会があった。
初対面であるが、私は長らく久保木先生のブログを読み続けているので、
初対面という気がしなかった。
更新のペースは「ゆるり」であるが、過去記事を読むことでも魅力のあるブログである。
今回、お目にかかって、いろいろと刺激を受けたことが多くあったが、
久保木先生のブログを(本で言うと)パラパラと眺め直したくなった。
ジョジョを筆頭に、サブカル分野も力作。
久保木先生は、オカリナ奏者でもあり、その方面の記事もある
ここ数年は、非暴力に関する論考と実践、
そして神学的な論点に個性派が終結したユニーク神学本の出版など、深化し続けている。
私がいうのも変だが、本の紹介が個性があるのに、客観性というのかバランスが良く、同時に著者側の深意に寄り添うスタンスがここちよい。ちなみに、拙著2冊の紹介記事を下にあげる。なるほどね。と感心。
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香山リカ先生のキリスト教本がいよいよ
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2018.04.25 Wednesday 17:04
いやああ、ついに出るようです。香山リカ先生のキリスト教本。3つの講演会。1つの対談(賀来周一先生)。4本を活字にしたもの。なお、賀来先生の対談は、この本のためのオリジナルである。また講演のうちひとつは聖学院大学総研のキリスト教カウンセリング研究講演会のもの(スバラシイ)である。(私が本ブログで要約紹介した記事)
香山先生のスタンスや視点で問題を扱うとより本質的なものが浮かんでくるように思う。担当編集者さんに提案。帯をキリスト教書店向けと一般書店向けと2種類用意するのはどうか。それほど本書の本領はハザマにあるからであり、ハザマを創り出している2つの世界に同時に届けることには知恵がいるだろうと思うからである。
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美術館で語り合う。コトバとイメージ。
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2018.04.20 Friday 09:17
<イラストは、左が館内トークフリー、右が夜間開館。>
昨日の朝日新聞(東京本社版37頁)にも取り上げられていた。
「美術館はおしゃべりOK?」という見出し。
たしかに絵を前にして会話する。感想を交換する。これって自然なことだ。
加えて、人の感想に触発されて、新たな自分の感想が生まれてくる。ここらへんになると、かなり感動的である。
トークフリーのサービスは、単にこども連れ対象のサービスではなく、絵の鑑賞の本質的なことにつながっていると思う。
要するに、私の言葉でいうなら、アートのイメージに一定の「コトバ」の持つ影響力を認める、ということである。
普通の描画療法でも作品を作ったあと、描画後の対話を行う。面接者の哲学によって異なるが、「コトバ」を介してイメージを味わう部分があることは間違いない。
さらに考えると、「コトバ」でだけ行っている作業をとりあげ、その作業をイメージで展開させるほうほうもかなり味わいがある。
たとえば、あるテーマで話しあう。その後話しあったことをテーマにしてコラージュを作ってみる、といった方法である。
・・・イメージにもっと「コトバ」を、と考えると、
美術館業界。もしかしたら大きな革命が起きるのかも。
こんなある美術館のトークフリーの取り組みが→http://mimt.jp/blog/museum/?p=5424
それから、全盲者のための美術館ガイド。これも大きな革命の一要素。
「コトバ」でイメージを導くことがある程度できるはずである。
全盲でも美術鑑賞やコラージュ療法が可能であると思う。
http://fujikake.jugem.jp/?eid=1259
革命のなかに身をおいている美術館の方々。
頑張りましょう。
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システムとしての教会リスト
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2018.04.19 Thursday 09:13
昨日の記事のつづき。
対談中、「教会もシステムとして機能することが大事」というようなことを述べた。
そもそもシステムとは何かという疑問を持つ方もいることだろう。
そこで「舟の右側」5月号連載対談の特別付録を(笑)
家族や職場集団や教会をシステムとして考える場合、いろいろな「システム」の理論があるが、ここでは有名なオルソン博士の円環モデルに即して話しを進めたい。
このモデルは、家族システム(機能)を2側面から捉える。ひとつは凝集性(メンバー間の情緒的絆)、もうひとつは適応性(状況や発達の変化に応じて構造や役割を変化させる力)である。そしてこうした凝集性にしろ適応性にしろ、もっとも機能が働くのは中間レベルであり、弱すぎても強すぎてもよろしくないとする。
ここで凝集性と適応性にかかるリストを以下に載せる。統計処理などの手当していない、私の直感的なリストである。個々人の心理でなく、家族や教会をひとつのシステムとして捉えることのヒントとしてお読みいただきたい。
* 教会の絆リスト(凝集性)
1.私の教会では、困った時、お互いに助け合う
2.私の教会は、みんなで一緒に何かをするのが好きである
3.教会では、お互いに強い結びつきを感じている
4. 何かの時は、牧師や教会のだれかに相談する
5. 一般の人間関係よりも教会関係者のほうが親しみを感じる。
* 教会の舵取りリスト(適応性)
1.教会の問題を解決する際には、個々のメンバーの意見も聞き入れられる
2.教会を引っ張って行く者は、その時々の状況に応じて、分野に応じて変わる事がある
3.私の教会は、いろいろな事についてよく議論する
4.私の教会では、何か問題が起きた時、その取り組み方を柔軟に変えられる
5.教会内の決まりごとは、その時々に応じて変わる
・・・・・・
たとえば、私の教会はとにかく自由なんです、と言った場合、
適応性がかなり高いとかんがえられる。
教会本来の持つ、新たな問題に対する対処能力、自己修正力が発揮されることはかなり大切であるが、
その度合いが高すぎると、放逸、無秩序になり、
かといってその度合いを低めすぎると、硬直、形式主義になってしまう。
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癒しの牧会
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2018.04.18 Wednesday 10:20
さきほど(4/18)、「舟の右側」誌の5月号の連載対談の記事の校正をもどした。
前回4月号のテーマは「カウンセリング」、今回のテーマはその続きの「癒し」。
2回続けて、かなり私のカウンセラーとしての本質的な大事な事柄と重なるものが多々出てきた。
その時々に、全体を体系的にではなく、たまたま話しが行ったトピックスを膨らますような私である。
一方坂野先生の発言は密度が濃い。また、お忙しい中で、欧米の牧会学の文献をかなり読み込んでおられ、
そのエッセンスを対談では提供してくださる。
5月号の発行は、4/25。待ち遠しい。
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おふぃす・ふじかけ賞授与式の日程が決まる
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2018.04.16 Monday 15:13
2018年のおふぃす・ふじかけ賞授与式の日程がきまりました。
7月5日(木) 14時から16時。会場はいのちのことば社チャペルです。JR中野駅南口、徒歩8分
今回ははじめて夜でなく日中です。
また、第二部として、短い時間ですが、トークセッションを予定しています。
日めくり「ヘブンズ・ドロップス」著者・みなみななみさんをはじめ関係者の方々にお話をうかがいます。
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本を捨てるぞ!(1)出版社の図書目録
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2018.04.16 Monday 07:50
出版社が自社の刊行物をコンパクトにミニ解説付きで紹介している「図書目録」がある。
私はこれをパラパラと眺めるのが好きだ。
とはいえ、ものを捨てる方針の今となっては最初に捨てるべきものである。
金剛出版は、私が書いた単著本の第一号(1999年)、第二号(2002年)を出していただいたところで愛着も深い。
おかげさまで、刷りを重ね、今も流通している。
第一号の「描画テスト・描画療法入門」は、2013年にオンデマンドに移行した。
当時はオンデマンドに移行することを聞いて、絶版一歩手前のようであまり喜ばしくは感じられなかった。
今回、金剛の図書目録を捨てる際に、たまたまオンデマンドの頁を開いてみた。はじめて見る頁だったが、そうそうたる先生方の名著がオンデマンド欄に集まっていた。単純だが、オンデマンドに自著があることが嬉しく思えてきた。
本は、図書館利用もあるし、中古本もある。オンデマンド版まである。
安心して捨てることが出来る。
このブログでは、そんな本を捨てる際の、その本の思い出を書きとめてみたいと思っている。
捨てる踏ん切りかな。
→ 金剛出版図書目録
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ひさしぶりに、人生の計算式。
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2018.04.16 Monday 07:30
ほぼ日手帳の文章から
…まず「人生80年」として、そこから20をひく。
なぜ、そうするかというと、
現在の日本の大学進学率が「5割強」なので、日本人全体が社会に出る年齢を平均すると、20歳くらい。
自分の足で歩き始めるのが「20歳」である。
そう考えると、80歳までは60年あるので半分は30年。
ようするに「20歳プラス30年」で、「50歳が中間点」だと、考えているんです。
<出口治明さんが『「ゼロになる40代」から、「何でもできる50歳」へ。』の中で>
久しぶりの人生の計算式。これで5式目?
社会に出て活動する、という基準なら、人生80年はわかるが、すこし欲張っているようにも。
ちなみに、1式目、2式目はいかのとおり。
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