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2024.02.01 Thursday
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野望の成就?
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2018.06.28 Thursday 19:21
月刊「舟の右側」の7月号が届いた。対談連載は、今号で8回目。
私は臨床の知について語らせていただいた。
多義性。そして相互作用性(多様性)。
同じ号では、東京基督教大学長の山口陽一先生のインタビュー記事があった。
興味深かった。
かつて私は最後の職場として、神学大学あるいは神学校の教員になることを夢見ていた。
心理臨床家として、やりがいのある特殊な分野であると思うからだ。
しかし、いつのまにか歳をとり、病も得て、その野望?も過去のものとなったように思う。
幸い、西の方の神学校で講義した際の音源のテープ起こし作業が始まっている。
神学校の教員にはなれなかったが、神学校でお話ししたたくさんの講義が本になることだろう。
予期せぬかたちでの野望の成就として受け止めたいと思っている。
そう考えると、舟の右側誌の連載も、私にしては牧会現場について一歩踏み込んで発言している。
これまでの私のスタンスとは違う。
この連載も野望の成就のストーリーが入っているのかもしれない。
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おふぃす・ふじかけ賞授・新しい射程
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2018.06.28 Thursday 15:02
*毎年、おふぃす・ふじかけ賞授与式では式次第を配布するが、その中の記事のひとつに、
「選評にかえて」がある。それを転記する。
2018年
おふぃす・ふじかけ賞
新しい射程・選評にかえて
今回(2017年対象)は宗教改革500周年ということで、その関連本が多く出され、キリスト教カウンセリングの本はそのあおりを受けた観がある。これまで本賞では「キリスト教カウンセリング」を扱う本はもちろんのこと、「死生学」関連の本も常連であった。しかし、今回はそれらがない。
そうした事情もあり、今回の授与作品は2冊のエッセイ集となった。どちらも「キリスト教カウンセリング」的エッセイ集であると考えた。「心の部屋を空けて」は教会内で多く読まれ、「こころの深呼吸」は教会外で多く読まれており、好対照をなしている。
「悩んだときにひらく本」は、信仰問答集の一種になるが、模範を示すことでよしとせず、等身大の自分の弱さを受け入れることを勧めるまなざしがあり、キリスト教カウンセリング的である。
ここで「キリスト教カウンセリング的エッセイ」とは何かについて考えてみたい。そのためにはまずもって「キリスト教カウンセリング」とは何かについて考える必要もある。
筆者が思うに、「キリスト教カウンセリング」とは固有の方法論をさすわけでない。実際多くの実践者は臨床心理学的な方法論を使うのである。ただ、それらのカウンセリングの背後に教会があって、牧師の牧会的配慮の一部として機能するかどうかがその鍵なのである。
エッセイも同じである。極論をいえば、牧師が自らの牧会の連続線上で、人に勧めたり、贈ったりしたくなるものであるはずである。
この視点でとらえるなら、「キリスト教カウンセリング」とそのエッセイの射程範囲は驚くほど広い。
以上。
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オーダーメイドの儀式?
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2018.06.25 Monday 22:08
この数週間、いや数か月、仕事の増やし方、減らし方、複数の仕事の化学反応のさせ方…。
これらのバランスがうまくとれてない。
こういうときに限って、魅力的な原稿依頼がくる。
たとえば、万引き家族の映画評論。キリスト教とカウンセリングの観点からいかに考察するのか。
面白い。
ほかにも興味深い原稿依頼を(企画をもらすことになるので書けないが)泣く泣くお断りする事が続いている。
ただすこし納得しているところもある。
元凶となっている今の自分の病気とその症状は、頑張って生きようとしすぎる、それの影であるように思える。
だから、影をみつめ、頑張れない自分を味わうように導かれているのだと感じている。
泣く泣くお断りする作業は、オーダーメイドの霊的な儀式であるといったら言い過ぎであろうか。
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2018 おふぃす・ふじかけ賞授与式にどうぞ
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2018.06.23 Saturday 10:54
2018年 おふぃす・ふじかけ賞授与式の詳細が決まってきました。
日時:7月5日(木)14-16時。受付13時40分。
会場:いのちのことば社チャペル。JR中野駅から徒歩8分。
予約不要、入場無料
第一部:賞の授与と受賞者スピーチ。堀肇氏、森直樹氏のスピーチなど。
第二部:トークセッション「日めくりな日々」。ゲスト:みなみななみ氏(イラストレーター)、宮田氏(いのちのことば社)、松谷信司氏(キリスト新聞社)。
*片柳神父はご都合があり、欠席です。
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研究旅。第一弾は取りやめに
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2018.06.22 Friday 12:23
6/18(月)の朝、大阪北部地震が発生した。
余震が続き、ガスの復旧が遅れ、対人援助職の職能集団は仕事も増える。
今週、大阪の医療施設への研究旅を予定していた。がさすがに取りやめた。
かの施設の方々のご健康が守られることを祈ります。
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多様性と多義性
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2018.06.18 Monday 21:30
「舟の右側」7月号の連載対談の校正を今日戻した。
多様性、多義性について、いろいろと語りあった。
第8話,これで3分の2が終わったことになる。
雑誌は25日発売。(写真は6月号)
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研究旅。間もなく第一弾。
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2018.06.18 Monday 19:02
この2週間くらい特に疲弊感が強い。
6月、7月は、現在の特別研究をすすめるために、宿泊込みの「研究旅」をする。
そのためのアンケートを作り、キンツーに往復交通とホテルを手配してもらう。
これで一日が終わったような。
考えてみると、特別研究期間となり職場からそこそこ離れ、かといって闘病以降ネットワークのようなものが薄くなり、
自分の研究や執筆を世間話のように他人に語ることが激減している。語りながら意欲を高め、アイデアをひらめく。それが低下しているのだと思う。
本来なら、環境を生産的に整え、意欲を高めることを目指すところであろうが、体調や年齢を考えると研究や執筆の生産自体を低めていくのが新しい選択肢に思えてくる。
キンツーの帰り、すぐ隣には大きな書店がある。行き詰まり感が強いときは、書店で自己点検にかするテーマの軽い書籍を衝動買いすることが習慣だった。「60歳からの手ぶら人生」(海竜社)。今回の購入品だ。研究旅の新幹線で読むか。
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書評を書き終えたら、2冊の雑誌のことを思った
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2018.06.16 Saturday 09:20
昨日、香山さんの「迷える社会と迷えるわたし」(キリ新)の書評を提出した。
いろいろ書いたら面白い論点もあるのだが、最終的には、「読んでみようかな」と思ってもらえるような書評を書くことにした。
もう少し言えば、この本は「読んでみなければ面白さがわからない」。読み始めて、この本の著者の立ち位置、対談者の立ち位置、企画者や出版社の立ち位置などを意識すると、その相互作用の風を感じ、響いてくるものが違ってくる。
さて書評には書かなかったが、とりあえずこのブログに書いておこうというものが2つ。
第一は、対談部分が素晴らしく良い。対談者・賀来先生の濃密なキリスト教カウンセリング講義を聞くことができる。
この対談の中で香山さんは熱心に質問する。
−キリスト教的な倫理では許されないというような問題にはどう対応するのか。
−キリスト教カウンセリングでは(クライエントと)祈ったりするのか。
−キリスト教カウンセリングを受けたい」という方が信仰を持っていないときはどうするのか。
こうした疑問に賀来氏は丁寧に応じる。それと雑誌「Ministry」の最新号にはこの対談の抜粋が掲載されている。抜粋といっても6頁のボリュームである。
まずこちらから読んでみる手もある。
第二は、パワースポット問題についてである。香山さんは、神社仏閣のパワースポット・ブーム、仏像や御朱印帳のスタンプラリーの人気などを見るにつけ、教会はなにを入り口にして人々に教会に来てもらえるのか問う。そして、そのひとつの可能性として賛美歌やゴスペルをあげる。このことは一度深く論じ合いたい。
単に宗教色を薄め、安易な癒しやゲーム性を付与すれば良いというものではない。何に注目し,新しい入り口を構築し得るのか。
私の持論であるが「儀式」と「物語」(生きる上での素朴な解釈)を備えあわせたものを、新しい形でいかに創造するかにかかっていると思っている。少しオーバーかもしれないが、未来の教会のあり方にも関わってくる。
書評で書かなかった論点(とくにパワースポット問題・儀式と物語論)は、月刊誌「舟の右側」の連載対談の中で述べてみようと思っている。
キリスト教雑誌は面白い。
「Ministry」(キリ新)。もう37号。10年目に。
さらに「舟の右側」(地引網)も深化している。すごい。
読み手としては慣れが働く。その慣れさえも揺さぶられるような新しい世界に導いていって欲しいと願う
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「迷える社会と〜」の書評
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2018.06.04 Monday 22:41
先週は、私にしては予定があるほうで、軽快に予定をこなしたと思うと、翌日はごろごろするという繰り返しだった。
印象に残ったのは、香山リカさんの新刊の書評原稿を書いたことだ。早々にゲラで読んだので、時間はあった。あったが実際書きにくいところがった。というのも平易で読みやすい本であるが、いろいろなテーマが内包されている。どういう角度で書くかでいろいろな書評が書けてしまう。内容を欲張ってしまうと収拾がつかなくなる。今回はすぐに提出せずに寝かせている。読み直す度に文章を削っている。
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