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立ち止まり話?
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2019.06.28 Friday 13:05
授業で、友達作りをグループで学ぶカリキュラムを紹介した。
こどもたちが友達をつくるとき、実はいろいろな要素をクリアしながら接近していく。
自分が友達たちに近づくところからカリキュラムははじまる。
相手らの作業や歩行にあわせ、なにげに近づく。
相手らの話題をよく観察し、
良いタイミングが来るのを待つ。
相手らの関心時について質問する。自分の意見を言うのでなく。
そうすると足が止まり、豊かな立ち話が始まる。
こういう一連の動きと会話を、立ち話でなく、立ち止まり話と呼んだらどうだろう。
…あ、途中から、エマオ途上のイエスの物語になってしまった。
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立ち止まり話?
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2019.06.28 Friday 13:05
授業で、友達作りをグループで学ぶカリキュラムを紹介した。
こどもたちが友達をつくるとき、実はいろいろな要素をクリアしながら接近していく。
自分が友達たちに近づくところからカリキュラムははじまる。
相手らの作業や歩行にあわせ、なにげに近づく。
相手らの話題をよく観察し、
良いタイミングが来るのを待つ。
相手らの関心時について質問する。自分の意見を言うのでなく。
そうすると足が止まり、豊かな立ち話が始まる。
こういう一連の動きと会話を、立ち話でなく、立ち止まり話と呼んだらどうだろう。
…あ、途中から、エマオ途上のイエスの物語になってしまった。
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6/18になにが?
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2019.06.24 Monday 22:23
2019年6月18日。
このところ新刊の「真実の自分と向き合う」の帯に、「人気ブロガー」なる光栄なコピーをいただいたことが
影響しているのか、拙ブログのアクセス数を人から聞かれることがある。
数年前から止めているが、アクセスの多い記事を毎月、読み直すブログ記事を書いたりした。
それでも通常の日でのアクセス数は、かなりよくて、2,000件弱であった。
ところが、今年の6/18、ひさしぶりにアクセスが集中する日があった。
その日は、一日合計で、1万8千件弱
6/18に何があったのか?
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かれこれ18年の相談室。私が関与してからは12年?
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2019.06.23 Sunday 21:08
さいたま市のさいたま新都心駅から徒歩8分くらい。
そこではCCCの認定心理カウンセラーたちが終結し、賀来周一先生スーパーバイズの体制で、
約18年前にスタートした。心療内科もそれを追うように、この病院に開設された。
私は2007年から年二回のペースでカウンセラー研修の講師に呼ばれ、2009年だったと思うが、相談室のスーパーバザーの役割も、
賀来周一先生から引き継いだのだった。2011年には開設10周年の記念講演会も行った。
今回は、橋本病院(途中から橋本クリニック)が院長先生の引退に伴いこの8月に病院全体の幕引きをするのに呼応して、相談室も幕引きすることになった。
この12年が、長かったのか短かったのかよくわからないが、先週に月曜日に最後のケース検討会を行った。
帰り、病院の大きな玄関を出て最寄り駅に向けて歩き始めたが、個人的な写真を撮っていなかったことに気づき、すぐ後ろに構えているはずの病院玄関部分を撮影しようと立ち止まった。
すると驚いたことに、わずか数歩のつもりだったが、高層マンションと立派な戸建て民家の間で、さえぎられ、もう病院の大きな建物さえ見えなくなっていた。
主なブログの過去記事を。
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日めくりカレンダー第二弾が始まる
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2019.06.22 Saturday 22:32
「わーくしょっぷ・ふじかけ」で日めくりカレンダー第二弾の連載を始めました。
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牧会カウンセリング、キリスト教カウンセリング、聖書カウンセリング。みんな取り。
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2019.06.18 Tuesday 23:55
最近、「教会にかかわるカウンセリング」について、土俵となるモデルを作ろうと思い始めている。
構想は、いたってシンプルですが、
➊牧師はふたつのカウンセリングの世界の「かなめ」
に立っている。あるいは❹をふくめたみっつのせかいの「かなめ」に立っている。そして使い方は各牧師に委ねられている。 ❷ひとつめは「牧会カウンセリング」と呼ぶべきもので、
牧会全般のあらゆる活動を通して牧師は人々への関わりを持ち、 宗教的指導者としての役割を発揮する。説教も、訪問も、聖書研究も牧会カウンセリングの一要素となり得る。個別面談もその要素のひとつとして行う。 ❸ふたつめは、「キリスト教カウンセリング」と呼ぶべきもので、
臨床心理学のいうところのカウンセリングを教会の外の専門家に委 ね、かつ連携する。信徒もカウンセリングを学び、教会の働きに貢献する。 ❹あるいはみっつめとして、「聖書カウンセリング」と呼ぶべきものを出してもよい。この場合、カウンセリングは、限りなく伝道や回心と近い性質を持つ。
これら2つないし3つのカウンセリングを並列的に並べることができれば、実際の土俵になると思うのですが。
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関係者の目標と彼の人生
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2019.06.18 Tuesday 20:38
こどもが、それまで行っていた学校にいかなくなる。
大人や親は、いろいろと手を尽くすがうまくいかないなかで、
とりあえず学校生活に復帰することを強く願う。
そして、それは関係者の目標になる。
でも本当は、学校に行かなくなったその人の人生に何が起きたのか。
そしてこれから何を得て人生を進んでいくのか。
そうした視点に立たないと、何も見えてこない。
ある人が、これまで来ていた教会に来なくなる。
牧師や信徒は、いろいろと手を尽くすがうまくいかないなかで、
その人がとりあえず教会に復帰することを強く願う。
そして、それは関係者の目標になる。
でも本当は、教会に来なくなったその人の人生に何が起きたのか。
そしてこれから何を得て人生を進んでいくのか。
そうした視点に立たないと、何も見えてこない。
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特集:日常に言葉の彩りを ”日めくりの世界”
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2019.06.15 Saturday 17:50
いのちのことば社から出ている書評誌「いのちのことば」2019年7月号(7/1発行)が出た。
今回の特集は、「日常に言葉の彩りを/日めくりの世界」。その冒頭の原稿を書かせていただいた。
4−5p。小さなスペースに、なんとか最小限のことは盛り込んだと思う。
とくに研修会などでワークの素材として使う方法を少し詳しめに紹介できたのも良かった。
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森林浴、礼拝浴
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2019.06.14 Friday 11:44
かつて香山リカさんが、こう言った。
神社仏閣には「パワースポット」があって人々を引き寄せている。
ひるがえってキリスト教に「パワースポット」に相当するものがあるのか。
もちろん多種の魅力があり,たとえば教会の賛美歌などは人々を引き寄せる力になるだろう。
私は礼拝という特別な場も、多忙な日々から入ってみると、静けさであったり、内省であったり、神からの語りかけを受ける場であったりする。それは十分に魅力のあるものである。
私は、説教が十分に理解出来ない日があっても、疲れていて居眠りと戦う日があっても、ただ礼拝にでたことで癒やされる部分があると思っている。すこしこなれた言葉ではないが、「森林浴」ならぬ「礼拝浴」とでも言いたい心持ちである。
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儀式と、儀式らしくない一瞬
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2019.06.08 Saturday 09:38
教会の礼拝にしても、その他の集会や会議にしても、
呼吸のようなものがあり、流れにのって流ちょうに進む。
変に間が空いたりしないことが、良いこととして評価される。
私の通っている教会では牧師が会衆席の最後の方に座ってる。
礼拝の中で登壇する際は、けっこう大きな礼拝堂なので、後ろから講壇まで歩くことになる。
毎回微妙に間があく。
僅かな間合いにより、今ここでご臨在する神様を感じることができる瞬間なのだと思う。
予想をこえてはるかに長い沈黙。
どうやら予定通りに進んでいないざわめき。
たどたどしい進行。
これらは儀式としてのある面を阻害するが、それでも余りある儀式の内実を補ってくれるように思える。
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