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あたたかさにつつまれて
2019.10.10 Thursday 20:55

最近、中村佐知さんの「隣に座って」(いのちのことば社)を寐る前に2節ずつ読んでいる。

娘さんのがんの闘病を描いたもの。

 

なんというか風格がある。安心してゆっくり読める。

体験談ものは読むペースが速い・遅いで読後感を大きく変える。

遅く読むと、じりじりと厳しい状況を味わうことになるが、ときに希望もほの明るく感じることができる。

 

なんというかあたたかさと冷静さがある。どちらもある。

著者のあたたかさと冷静さを思う。

あたたかさにつつまれて床に就く。

 

私も状況も内容もちがうが、色々と自分の体験を思い出した。

そのときの記録(「一六時四〇分」)を読み直してみようと思う。

が、まず「隣に座って」を読もう。可能な限りゆっくりと。

 

 

 

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対談を考える〜その深さ
2019.10.04 Friday 11:19

 

 

「心の井戸を深く掘る」という対談本について、多くの感想をいただいた。
ここでは対談について日頃考えていることを思い付くままに書いてみたい。

 

対談には話し言葉のわかりやすさや親しみやすさがあって、読みやすい。

それに相互作用の妙で、その場特有の対談者同士が互いの話を引出し合うこともおき、

思わぬ展開になることも魅力のひとつである。

 

さて対談について「深い」と評価することがある。

対談者の内面が深いところまで出るような「深い」もあれば、

考察が本格的で普遍的な真理を教えてくれるような「深い」もある。

 

私の好みで言うと、ちょうど井戸を深くおりていくイメージなのだが、

その人の深層の思いを偶然、会話の成り行き上で表現するような「深さ」である。

 

相互作用が活発に働く対談。それは魅力的であるに違いない。しかしそれにくわえて、井戸の深さようなものが必要だと思う。

そのような時雨例として、WTP!!という牧師2名の対談は良い線をいていると思う。

シーズン2の第1回だったろうか、朝岡牧師が初任の教会で、ある場面でネクタイをするかしないか迷うエピソードがおもしろおかしく語られる。当意即妙なトーク番組にふさわしいものであるが、同時に聞く人は自分だったらどうするだろうかという思いにかられる。そして朝岡先生が、なによりも自分の人生を牧師としてやっていくにあたって、崩し方というか独自性というか本音主義というか、いわばネクタイをはずすか着けるかをテーマにしてきた方なんだなと思う。その発言は偶然なされたのかもしれないが,ある意味、何十年かけて格闘してきたテーマをこのときここで見事に発言されたとも感じられ、発言者のオーラのようなものを感じたのであった。軽い笑い話でもあるのだが深いのである。対談者も聴取者も自覚はしないのであるがなにか面白いと深くほほえむのである。

 

できれば、つづく

 

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