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全国の大学で、遠隔授業が始まる
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2020.04.30 Thursday 16:12
(写真;イメージ<手書きの大学ノート>)
いま日本中の大学で、遠隔授業が導入されようとしている。
コロナ渦対策である。
遠隔授業とはずいぶん思い切った方法であるが、致し方ない。
「受講生とリアルに対面できない」ことを除けば、いろいろな道具があって、いろいろな冒険ができるようだ。
昨日、ネットを見ていたら、魅力的な記事があった。学習院大学理学部の田崎晴明先生の遠隔授業の骨子と実践記録であった。なにより視点が明快であり、惹かれた。その視点とは「受講する学生がスマホ一台しかない持たず、送られてくるファイルも大きいと困る」ような場合を想定していることである。
音声データ(動画データでなく)を使い、ラジオ講座のようなスタイル。
講義ノートは、すべて手書きをpdfファイルで用意している。
素朴な心配として、パソコンでなく、スマホ1台の学生がそのスマホでファイルを開いて読むのは、画面が小さくて大変じゃないだろうか。
おそらく器用にスクロールして読むのだろうか。
↓ 田崎先生の記事
https://www.gakushuin.ac.jp/~881791/RLtest/
https://www.gakushuin.ac.jp/~881791/RLtest/sample.html -
「ほぼ日」の文庫本
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2020.04.30 Thursday 11:27
最近、寝る前に、「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社文庫)をすこしずつ読んでいる。
以前斜め読みしているが、今回はゆっくりと読む(まだ半分途中)。
「ほぼ日」というホームページを自前で立ち上げ、それを育てていく、草創期の成長物語である。
イトイ氏は、コピーライターとして一世を風靡した人であるが、バブルがはじけ、広告業界がダンピング競走の中で仕事を進めることに嫌気がさして、次第にメディアから遠ざかっていったという。クリエイティブがイニシアティブをとって仕事が出来ないものかと思案する。そんなとき、イトイ氏の目の前に現れたのがインターネットであった。
イトイ氏のアイデアは続く。
そのインターネットで、ホームページを作り、自前のメディアを持つことで、目に見えにくい仕事の「場」を作ることができる。クリエーターの「まかないめし」を提供してもらう。スポンサーは持たない。ご機嫌伺いになってしまうから。ただでできることはただでおこなう。
そして次々実行していく。むろんイトイ氏の知名度と、そもそもの才能、すでにある財力とネットワーク。どれも真似はできないものばかりであるが、氏の戦略はなるほどと思わされることが多い。
私は実はイトイ氏に影響を受けている。「ほぼ日手帳」の「日々のことば」を読むのを楽しみにしていたことがあって、それがどこかで私の寸言にも影響していると思う。いつの日か「おふぃす・ふじかけ」が自前のメディアだという日が…こないか(笑)。
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新刊「コラージュ入門」届く!
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2020.04.13 Monday 11:51
新刊本「コラージュ入門」が届く!
最初書き始めようとしたときの構想は、
専門家の初級〜中級程度を意識していた。
早々に、思い切って専門家でない人が読んで役立つことを意識した。
全く個人でやる場合にも本書を読むことで手とり足とり取り組めるようになっている。
また教会や福祉施設などで導入するのに良い手引きとなるようにと、そうした章を作った。
そして欲張って、実践の愛護にある「考え方」にも多少こだわったので専門家でも
読んで参考になると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうした思いはそうなのだけど、
今、コロナの外出自粛の状況が長期化するなか、
自宅でもんもんと過ごす時間の多い方すべてに、
手にとって、いただきたいと思う。
雑誌・チラシ、はさみ、糊と、30分の時間さえあれば
すぐに始められるコラージュ。
立ち止まって、たましいの深呼吸を
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2020年・おふぃす・ふじかけ賞の発表
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2020.04.11 Saturday 11:17
2020年・おふぃす・ふじかけ賞の発表
おふぃす・ふじかけ賞は、広い意味での、キリスト教を背景としたカウンセリングやカウンセリング的な発想を示した良書を選ぶものです。今回、対象となる本は、2019年1月から同年12月に出版されたもの。今年で第6回目となります。
それでは発表します。今回は3冊3名の方です。
【本賞】
(1)「 隣に座って スキルス胃がんと闘った娘との11 か月 」
中村佐知氏、いのちのことば社
看病記。著者の信仰、家族、死生観などが、率直に描かれており、引き込まれる。
(2)「牧師・教会リーダーのためのメンタルヘルス 教職・信徒が共に歩むために」
河村 従彦氏、いのちのことば社
この分野の王道のテーマ。それを牧師にして臨床心理士の著者ならではのスタンスで語る。
(3)「大人になった発達障害の仲間たち」
森 マミ氏、いのちのことば社
大人になった発達障害の「仲間たち」4名を通して、具体論と同時に人の成長について考えさせてくれる。
【発掘賞】【特別賞】なし。
なお、今年は新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐために、授与式の開催を断念・延期とします。
そして、2021年7月ころ、その年の授与と併せて行います。
特別賞の準備もしていましたが、2021年にとっておくことにします。
担当編集者の方々には来週早々にご連絡をさせていただきます。
蛇足ながら、拙著「真実の自分に向き合う」(単著、いのちのことば社)および「心の井戸を深く掘る」(共著、地引網出版)は、
いずれも2019年発刊ですので、対象となりますし、我ながら傑作だと思っていますが、まだまだこれらをはるかにしのぐ本を書くつもりですので、今回は選外としました。
以上です。
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感染拡大と動画配信礼拝2
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2020.04.06 Monday 23:07
よもやまな話を続けよう。
(2)
儀式、とりわけ、その中核にある宗教的儀式というのは、私たちに与えられた特別な方法である。
そして宗教的儀式の最たる物として「礼拝」がある。
儀式には特別な力があるが、その一つに、同じ儀式にあずかる者が他の参加者と強烈な連帯感を味わえることがあげられると思う。
それは、歴史を超えて、空間を超えて、莫大な人たちと繋がりあう秘儀なのである。
今回、感染拡大の場として指摘される「ライブハウス」なども、現代にあって、一種の宗教的儀式の要素を担っているのだと思う。
ある時期、Kポップ、特に東方神起のファンの人たちのブログを読んでいたことがある。
ある人はOLであったが、がんになった。経済的に余裕があるわけでなく、それでも東方神起のコンサートに行くことが励みで、がんの外来治療の節目などにコンサートに行き、会場で泣きながらユノ(リーダー)に生きる力をもらうのである。そしてファン同士の結びつきが恐ろしく強い。強すぎて、時に分裂したりするのだが、近親憎悪といった感じである。
ファンは、イケメンをちやほやしたり、理想化するのでなく、魂の世界で潤うような体験をしている。
そうしたファン集団と、教会の共同体はどこまでが同じなのか。
そういえばユノが兵役に取られたとき、フィルムコンサートが全国展開したと思う。
動画配信礼拝と比べたら、すこし無謀だろうか。
いずれにしろ、孤独を癒やし、連帯を体験できるのが儀式であり、礼拝もそのようなことが起きている。
教会堂に集わなくてもキリストの体の一員であることを味わうことは、ある意味では、当然のことなのだと思う。
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感染拡大と動画配信礼拝
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2020.04.06 Monday 21:53
感染拡大と動画配信礼拝について、よもやまなことを書きたい。
(1)
先週の日曜日から、私の通う教会も動画配信による礼拝となった。
動画は私の予想を遙かに超えた出来で、どんな人が撮影したのかと感心した。
全体にくらめの映像で、説教者に光が良い感じにあてられている。ドラマチックですらある。
またカメラは切り替わるが、編集はしていない。司会者と説教者が入れ替わるときとか、
牧会祈祷者が講壇近くに進み出るときとか、独特の間ができるが、そこもそのまま納めている。
以前牧師がそういう礼拝の間は聖霊が働いていることを思い起こさせてくれる
(大ざっぱな記憶のため不正確かもしれない)と言ったことがあった。ますますドラマチックである。
考えて見ると普段は会堂を引いてみることはない。また普段は顔の表情はこんなに間近でみることはない。
動画がドラマチックなのではなく、いつもの礼拝がドラマチックでなのであり、普段は見ていないだけなのかもしれない。
いや、それに加え、
牧会者として、会堂礼拝を中止にしたことで、そのご苦労いくばかりかと思う。
そうしたものを水面下に押し沈めて、礼拝の収録に臨んでいるからこそ、
いろいろな思いが集約されて、いつもならざるものを感じるのかもしれない。
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コラージュ本・装丁と帯がきまる
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2020.04.02 Thursday 22:00
「コラージュ入門」。カバーはこんな感じ。
表:本書は、コラージュ作品を作り、分かち合うための実践方法を
コンパクトにまとめたものである。また、指導者としてグループで
コラージュ作りをする場合の留意点についても述べられている。
立ち止まって、たましいの深呼吸。
裏:「コラージュ」とは、雑誌等から、自分の好きな写真を何枚か切り抜いて、
用紙に貼り付ける描画方法。フランス語で<糊付け>という意味。
コラージュというのは、心理療法としてのコラージュをさしている。ただし
本書では、一般の人たちを対象に自己発見や成長を扱おうとしており、
その意味から、コラージュ療法の「療法」という言葉を思い切って省略し、
単に「コラージュ」という呼び方でとおした。 …<本書>より
帯の背中:イメージ遊びで、意外な自分の発見が
「立ち止まって、たましいの深呼吸」は私の発案。
帯のメインのコピーは編集者の領分と心得ているつもりだったが、
今回は、つい提案していまった。
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