記事:「若者の生きづらさと、教育の課題を考える」
2006.12.21 Thursday 10:48
◎「若者の生きづらさと、教育の課題を考える」
(掲載:クリスチャン新聞教育特集別刷り、2006年10月)

 日頃、カウンセラーとして、大学人として、若者に接している立場から、彼らの今の生きづらさと社会の状況、そして教育の課題について考えてみたい。

(1)中間のない社会

勝ち組、負け組という言い回しを最近とくに聞くようになった。二分法の発想である。確かに、社会はゼロか百か、良いか悪いかの二分法の発想に傾いてきている。

 人間関係が続かない若者、また、課題に対して、あきらめが早かったり、逆に驚くほど高い目標を引きずり続ける若者にも、案外とこの二分法の影響が見られる。

ハサミ
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記事:「日本人の気質と大勝負」
2006.12.17 Sunday 17:32
◎「日本人の気質と大勝負」
(掲載:クリスチャン新聞オピニオン欄、2006年2月)

イタリア・トリノでの冬季五輪が二月一〇日から一七日間にわたって開催された。実はこの記事は開会から四日目の朝に書いているのであるが、日本選手のメダルがいまだひとつも取れていないことに失望の声が漏れ始めているところだ。

 世界の壁が高いのか、日本人の本番での弱さを示しているのか、様々な声があがっている。私が思うに、今回、明らかになった成績は、実力からみて不当なものではけっしてない。競技前のマスコミ予想や、一部の選手本人が宣言する目標からすると低いだけなのである。多くの競技成績は冷静に振り返れば、ほんのわずかな例外はあるものの、順当なもの、いや健闘しているものがほとんどと言えないだろうか。多くの選手の健闘ぶりには拍手を送り、感謝を捧げながら、ここでは、五輪そのものの論議から離れ、大きな勝負に臨む際の日本人気質について考えてみたい。

 それは、一言でいえば、競技前に、精神論や希望論が支配しがちであるということである。現実をふまえ、それでも上を目指すというのと、ひたすら「勝か負けるか」「やるしかない」といった調子で突き進み、玉砕するのとは大きく異なる。玉砕型は、劣勢になるとますます一か八かになってしまう。そうなると練習・準備中であれ、本番中であれ、小さな間違いや失敗を修正するのが非常に難しくなる。大きく修正しようとして次なる間違いや失敗がやってくることが起こりやすくなるのである。よく競技では、「体調面で万全でなかった」「満身創痍で、腰痛が悪化していた」などという実情が後から報道される。だから、私たちは、本当ならもっと良い成績をとれたはずだと考える。しかし、ここにはもう一つの教訓がある。それはそれほどに、高い目標に挑むあまり、かなり無理をした練習や競技をしていたということであり、すでに限界ギリギリの状態で戦っていたということだ。むろん第一線の競技者としては当然のことなのであろうが、私たちの生き方の教訓としては真似をすべきでない。

自分の最高点の状態を自分の本来の姿としてとらえるのでなく、最高点と最低点の間にある、ある意味平凡な自分を、本来の自分としてとらえるとき、成熟したスポーツ選手が競技後に「満足できた」「楽しめた」「全力を出し切れた」という心境を抱くのと同じようなことが、私たちの人生の各所でも起きるように思う。競技者には、「賞を受けられるように」(1コリント九、二四)一〇〇%頑張るのと同時に、「競争は足の早い人のものではなく」、時と機会によるものである(伝道者九、一一)と一〇〇%委ねるセンスが問われているのだろう。
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記事:「手帳の季節」
2006.12.09 Saturday 11:39
◎「手帳の季節」
(掲載:クリスチャン新聞オピニオン欄、2006年11月)

 今年もまた、文具店などで来年の手帳を見かける季節になった。

 私が手帳を本格的に使い始めたのは大学生時代である。ちょうど教会の奉仕を始め、ある程度予定を管理する必要ができたからだ。当時は、一ヶ月が一覧できるブロック式が便利だった。教会の行事が、第何週の何曜日という具合に設定されることが多かったからだ。やがて長期的な目標と優先順位にそった生活管理が大切だと気づかされた。そのためには、先々の目標と日々の目標、そして各個の優先順位を確認し、その達成度を確認する必要があると考えが、手頃な製品が見つからなかった。そこで思いきって、オリジナルなフォームを作った。当時はまだパソコンが普及する以前の時代だったので、印刷会社に注文して、大量に刷ってもらった。希望される方には実費でおわけしたが、郵送代を計算しなかったので、けっこう赤字になったことを覚えている。その後、社会人になり、その都度仕事の内容や役割によって、手帳の使い方も変わってきた。

今春、ある手帳会社の方が私を訪ねてきた。手帳の監修の依頼であった。先方が言うには臨床心理士の先生が監修というのが良いのだとのことだった。先方の原案を見せてもらったときに、定番の優先順位欄を変えたいと思った。「日ごとの優先順位欄を辞めて、”今日良かったこと”を振り返る欄にしましょう」と主張してみた。結局、この主張が良くなかったからなのか、他の要因からなのか、私の監修手帳は梅雨が明ける前に頓挫した。

 もちろん「優先順位」や「目標管理」は大切な考え方である。少なくとも人生の春や夏の季節には、成長や拡大のために自分を未来に向かわせるスタイルは不可欠なことだ。しかし、未来に向かうだけにこだわりすぎると問題が生じる。目標管理を懸命にすることで、今日という一日が、先々のゴールに向かうための、ただの味気ない通過点になってしまうことがないだろうか。もし目標にうまく到達できないときには、それまでのプロセスが無価値なものになってしまうのであろうか。

 私の理想の手帳は、〔ね茲妨けて目標や予定を描くだけでなく、◆屬い沺廚いに生きるかを考え、思いめぐらせる手帳であり、できれば2甬遒僚侏荵を(それもあまり思い出したくない失敗も含め)意味づけし直せる手帳である。まずは、手帳の余白に「今日の発見」「今日良かったこと」「印象に残ったこと」「教えられたこと」「導きを感じたこと」「少し大切な情報」「アイデア」など、何かひとつのテーマで書き留めることを手帳をその日最後に閉じるときにしてみるのはいかがであろうか。


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記事:「困った人への対応、どうする」
2006.12.08 Friday 23:07
◎「困った人への対応、どうする」
(掲載:クリスチャン新聞オピニオン欄、2004年3月)

私は臨床心理士として様々なご相談にあずかってきた。その中で援助の必要な人にはまったく異なった二つのタイプがあると思うようになった。それを一言で言えば、「困っている人」と「困った人」の二つのタイプである。「困っている人」とは文字どおり、自分の現在のありように悩み、困っている人である。助けてほしいと切々と述べ、これ以上先に進めず、立ち止まったり、へたり込んだりしている。一方、「困った人」というのは、周囲がその人に困らせられている状態にある。本人は、(本当は困っているのだが)誰かに助けてもらおうという思いはなく、ほっておいてくれと叫んでいる。ひたすらこれまでどおりのやり方で虚勢をはり、強行突破をしていこうとする。「困っている人」が自分の弱さを積極的に表現するのと対照的に、「困った人」は不自然なほど自分の弱さを認めない。
 また、「困っている人」は、クリニックや相談室を訪れる。それは心の病をもつ人の多くであったり、引きこもりの人であったり、非社会的な問題を持つ人たちということができる。逆に「困った人」はなかなか自分に援助が必要だとは考えない。彼に困らせられている周囲の人に説得されるかたちでクリニックや相談室をしぶしぶ訪れることはあるが、それは例外的だ。たいていは周囲が我慢をし、その限度を超えると彼らを排除するかたちで決着が付けられてしまう。アルコール依存、ギャンブル依存、暴力加害者、非行・犯罪者、人格障害者、常ならぬ対人トラブルを起こす人たちなど、「困った人」は反社会的な問題を持つ人たちということができる。
 しかし、「困っている人」への援助が認知されているのに対して、「困った人」に対するそれは未だ模様眺めの段階にとどまっている。精神薬が効かない。本人が援助を拒否する。かわいげがない。被害を受ける人がいる。・・・だからそれはその人の「罪」だと説明しても、彼らに対する心理的援助や治療を放棄してよいわけではない。「困っている人」には励ましや受容といった援助が必要である。しかし「困った人」にはそれとは異なる枠付け、対決といった原則が必要になってくる。
 私たちは信仰者として、教会として、「困っている人」だけでなく、「困った人」にも援助の対象を広げることを真剣に考える時期にきているのではないか。たとえば殺人を行ったにもかかわらず、神様は、カインに語りかけ、またモーセを指導者にした。私たちは聖書や霊的洞察力、そして実際の臨床的知見を総合しながら、「困った人」への援助の知恵をまずはきちんと蓄えるところからはじめるべきではないだろうか。
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