自分の性格を吟味する
2015.12.14 Monday 17:23
いくつかの雑言(10)

カウンセラーになるのに適性はあるか、と質問を受けることがある。
私はあまりないと考えている。しかし、自分自身の性格を吟味し、自覚しておくことは必要である。自分の性格に無頓着でいると、カウンセリングが、人のためでなく、自分の欲求を満 たすための行為になりやすい。

 例 房分の影響力を感じたいという気持が強すぎるカウンセラー。
     → いつも力強い助言を自信を持って与える自分を演じてしまうと危険
      クライエントがカウンセラーに依存してしまう。
 例◆卜匹ど照修鯑世燭い箸いΦせが強すぎるカウンセラー。
    → クライエントを喜ばせ、良い先生だと評価されることを求めてしまう危険
        クライエントがカウンセラーを喜ばせようと思うようになる。

これらのことは、カウンセラーに限らず、対人援助職全般にあてはまる。

      
 
| ふじかけ | いくつかの雑言 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ベリー、ベリー、ストロング
2015.12.14 Monday 08:51
いくつかの雑言(9)

震災から数年がたったある日、そのことを思い巡らしていると、偶然、斉藤和義の「ベリー、ベリー、ストロング」という曲がラジオから流れてきた。
 短編小説のような、魅力的な歌だった。
都会のサラリーマンである主人公が、他人とのつながりをどん底で感じる姿がじんとくる。
10代のころ、井上陽水の「傘がない」を聴いたときに似た感動だ。
 歌を作る人がうらやましい。

→歌詞のみは、こちら
→実際の歌は、ユーチューブなどでご覧ください。




 
| ふじかけ | いくつかの雑言 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
残された者として
2015.12.06 Sunday 21:28
いくつかの雑感(4)

ある日、新約聖書ローマ人への手紙11章5節の言葉が飛び込んできた。

 「私だけが残されました」。

考えてみると、私たちはいろいろなところから「残されている」。

 私は、職場のボスであった、故・平山正実先生と比較的同じ時期に、共に病いを負い、闘病を余儀なくさせられた。平山先生は2013年逝去された。組織的にも働き的にも平山先生が長生きされていたら、どんなにか良かったかと思う。しかし、結果的に私が今も生きていて、いわば残された者となった。
  また、私は、長らく大学の研究所に在籍し、今は大学院を兼務しながら学部に在籍している。研究所も大学院も相次いで専任ポストが廃止されたため、職場を去らざる得なかった研究者らもいた。しかし、私は不思議なタイミングで移籍し、結果的に、いわば残された者になった。
  もっと昔をたどれば、私の世代というのは、心理カウンセリングを学び、それを職業とすることが難しかった。それもクリスチャンとしてとなるとさらに難しかった時代であった。同世代の有能な友人・知人で、同じ志のある人たちがけっこういたが、ある人は全くの進路変更をし、ある人は大きな妥協をせざる得なかった。しかし、私は回り道をしたものの、希望の進路をかなえた。クリスチャン心理カウンセラーとして、結果的に残された者と言えなくもない。

  残された者には、残された者特有の孤立感があり、何かにつけて心細さや、口惜しさを抱きやすい。悲観と理想とが交錯もする。しかし、そうした苦労を遙かに上回る、残された者としての恵みと使命があるのだと信じたい。
 
| ふじかけ | いくつかの雑言 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
例え話:放蕩息子のその後
2015.12.05 Saturday 01:15
いくつかの雑言(3)

大学院の授業でのこと。
聖書にある放蕩息子のたとえ話。弟が依存症者だと仮定すると、父の元に帰ってきた以降、どのような生き方をしただろうか?という質問があった。その場で受講生からもいろいろな想像が述べられた。私の暫定的な答えは、「依存症的生き方は一生残るので、放蕩依存から仕事依存にシフトし、仕事人間に。ときおり失敗しながらも、おおむねコントロールしていったのではないか」というもの。答えがない問いであるからこそ、面白い。
 
| ふじかけ | いくつかの雑言 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
牧師はカウンセリングを学ぶべきか
2015.12.04 Friday 00:32
いくつかの雑言(2)

よく人から聞かれる質問。
”牧師は心理相談(カウンセリング)を学ぶべきか。”

これについては、牧師に限らず、クリスチャンに限らず、およそ人に相談に乗ることのある人全般に言うべき答えがある。
それは、カウンセリングを実践する必要はない。
マスターする必要もない。

しかし、基本的なカウンセリングの考え方については理解しておく必要がある。
なぜなら、カウンセリングの基本原則には、長年にわたる援助の知恵が盛り込まれている。
その知恵をあえて使わない(あるいは使えない)場合には、その失うものを自覚し、あえて得るものを自覚することが大切なのである。

そうではなく、失うものを自覚せず、自らの理念に基づいて、善意と我流で、相談にあずかっていくと、ぼろぼろになってしまう。
もっとも、ぼろぼろになるのには2タイプある。
 相談に乗る人がぼろぼろになる場合と、
 相談をした人がぼろぼろになる場合である。
 
| ふじかけ | いくつかの雑言 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
第三者からの視点
2015.12.03 Thursday 08:43
いくつかの雑言(1)

見慣れた場所や人物でも、第三者を介して見ると、妙に新鮮に目に映る。発見もある。自分に当てはめてみてもそうだ。自分の文章や講演を、第三者が紹介してくれたりすると、それを読んだり、見たりすることで予想外の、しかし大切な発見があるものだ。自分らしさを追求し、自分らしい活動を本当に展開させていくためには、第三者からの視点も絶えず持ち続ける必要がある。
 
| ふじかけ | いくつかの雑言 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
←back 2/2 pages next→
Search
Profile
Recommend
Recommend
Recommend
Recommend
Recommend
雨降りの心理学 雨が心を動かすとき
雨降りの心理学 雨が心を動かすとき (JUGEMレビュー »)
藤掛 明
雨の心理的イメージを鍵に、雨の降る物語を読み解く。カウンセリング論であり、人生論でもある。
Category
Archive
Latest Entry
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Admin
Calendar
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< January 2020 >>
記事分析
アート情報
Sponsored links
Mobile
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM